出世魚の如くチーム名が変わるも結果につながらなかった57年間
日本時間6月21日、日本バスケ界の歴史が大きく動いた。NBAドラフト1巡目で、はじめて日本人の名が呼ばれた。富山県出身の八村塁がワシントン・ウィザーズに指名された。翌朝、八村がスポーツ紙の一面を飾る。日刊スポーツでは「八村ウィザーズ」の文字が躍り、テレビをつければ「八村のウィザーズ」と呼ばれるほどだ。
この原稿を書いている時点ではドラフトから15日しか経っていないが、「ウィザーズ」の名前を見聞きする頻度が尋常ではない。昨年比1万%増である(※筆者肌感覚)。仕事中に聞くラジオから、26シーズン応援し続けてきた我がチームの名が呼ばれる度にドキッとしてしまう。
本拠地はアメリカの首都ワシントンD.C.だが、発足時はシカゴだった。1961ー62シーズン、シカゴ・パッカーズからスタートし、翌シーズンには早くもゼファーズにチーム名を変えている。3シーズン目よりボルティモアに移転し、前身のブレッツを名乗りはじめた。ワシントンD.C.にやってきたのは1973−74シーズンからである。当初はキャピタル・ブレッツと名乗ったが、翌年には都市名に変更してワシントン・ブレッツとなり、ようやく腰を据える。1997-98シーズン、銃による事件が深刻化する中、弾丸を意味するブレッツは好ましくないとチーム名変更を余儀なくされた。ウィザーズとなり、チームカラーも赤から青に変わったことで全く別のチームになってしまったときは焦ったものだ。しかし、チームがプレーオフに出始めるとようやく見慣れてきた。2011-12シーズン、赤をベースにしたチームカラーに戻すとともにロゴもカッコ良く一新され、現在に至る。
出世魚の如くチーム名が変わるも、なかなか結果にはつながらなかった。応援し続ける26年間でプレーオフに進出したのはたった9回しかない。そのうち1回戦を勝ち上がったのは4回だけ(2004-05、2013-14、2014-15、2016-17)。筆者にとってはそれが最高成績である。ステフィン・カリーがゴールデンステート・ウォリアーズに入団してからのたった10シーズンで5回ファイナルに出場し、3度もNBAを制している。なんとも、うらやましい限りである。