「もう完全にド素人ですからね。まずはゴール下のシュートから練習して、みんなが外に走りに行っても自分だけは体育館でひたすら練習。ありがたいことにジュニアオールスターに出たこともある木崎さんという1つ上の先輩が、朝練も放課後の練習もずっとつき合ってくれて、そのおかげで少しずつ、少しずつできることが増えていった気がします。それがモチベーションにもなって、ダントツに下手でも(練習が)辛いとは思わなかった。むしろ新しいことを覚えるのに楽しさを感じていました。ただ、まさか1か月も立たずに自分が公式戦に出るなんて想像もしてなかったですけど」

“無名の選手” が一躍全国区へ
関東大会の東京都予選が始まったのは入部して間もなくのこと。新チームのメンバーとしてユニフォームはもらっていた。ベンチにも入れてもらった。だが、当然自分の出番などあるわきゃないと思っていた。試合の途中で「網野!」と呼ぶ監督の声が聞こえたときも一瞬わけがわからなかったという。
「選手交代で自分がコートに出るんだと知ってめちゃくちゃびっくりしました。僕はそのときセカンダリーのTシャツと短パン姿だったんです。試合前にユニフォームに着替えることすら知らなかった(笑)。なにやってるんだ!と先生に怒られて、急きょ先輩たちが作ってくれた囲いの中でユニフォームに着替えました」
コートに出たらもう無我夢中。とにかく練習してきたことをやるしかない。必死にボールに食らいついて、「気がついたら7点取ってました」。
俄然バスケットがおもしろくなり、練習にも一層熱が入った。愛読書は月刊バスケットボール。毎月すみからすみまで熱心に読んだが、そんな中、目に留まったのは白黒ページの小さな記事だ。
「韓国遠征をしたU18日本代表の記事でした。それまで僕は日本代表というのはトップリーグの選手が選ばれるものだと思っていたので、えっ高校生にも日本代表のチームがあるんだってびっくりしたんですね。けど、その瞬間、あっ自分もこのチームに入りたいと思ったんです。当時の自分にしたら身の程知らず過ぎる大それた夢なんですが、ほんとになんかビビッときたんですよ。そのビビッがそれからもずっと頭の隅にあって、練習もジャンプ力をつけるトレーニングもめちゃくちゃ頑張りました」
もともと身体能力は図抜けている。1年生の終わりには両手でダンクができるようになり、2年生からは主力としてコート立った。インターハイ予選の試合ではダンク3本を含め57得点をマーク。バスケ経験は浅いが底知れぬポテンシャルを秘めた選手として注目が集まったのは当然のことだろう。関東で40名の選手が選抜された合宿に招集されると、さらにそこから “選ばれた6名” の1人として全国の有望選手40名が集まる合宿に参加することになった。
「メンバーの中には月バスで見た田臥勇太(宇都宮ブレックス・当時能代工)の名前もあったから、すごい選手と一緒にやれるんだとうれしかったですね。同い年だし、せっかくだから合宿が終わる前に一緒に写真撮ってもらって帰ろうと考えていました(笑)」

思えば、このときバスケ歴2年の網野は自身の可能性をまだわかっていなかったにちがいない。アンダーカテゴリーの日本代表になることを夢見たものの、自分にはそこで通用する力があるのか。本当に必要な選手になれるのか。
その答えが出たのは高校3年のときだ。念願のU18日本代表に選出されるとインドのカルカッタで行われたアジアカップに出場。同じコートに立つ田臥勇太はもう “あこがれの人” ではなく、3位入賞の喜びを分かち合うチームメイトに変わっていた。
どうせ跳ぶならもっと高く!(2)へ続く
文 松原貴実
写真 鈴木真人











