対戦相手にリスペクトを込めて
昨年の12月に開催された第77回全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)で白鷗大学は2年ぶり3度目の優勝に輝いた。
網野友雄が『監督兼部長』という役職で白鷗大男子バスケットボール部に着任したのは2017年。1年を経て正式にヘッドコーチに就任すると、2019年の関東大学スプリングトーナメントで創部初となる優勝を果たし、さらに2021年のインカレで一気に日本一の階段を駆け上がった。連覇は逃したものの2023年には再びインカレを制覇。昨年の栄光までを振り返れば、指揮官になって8年間に刻んだ輝かしくも着実な足跡が見えてくる。さらにもう一つ付け加えておきたいのは、試合後の彼のコメントだ。勝敗に関わらず。網野の言葉には必ず相手チームへのリスペクトが込められていた。
「優勝した今のお気持ちは?」と問われ、「まずその前に(対戦した)早稲田さんが本当にすばらしいチームだったということを伝えておきたい」と答えた昨年のインカレ、準優勝に終わった2022年のインカレでも「今大会の東海大さんのプレーはいろんなチームにたくさんの勇気を与えくれるものだった」と開口一番優勝チームを称えた。
「良きライバルがいるからこそ自分たちも頑張れる」が信条。「戦う相手をリスペクトしているからこそ『倒したいと』いう強い気持ちが生まれてくるんです」
おそらくそれは指導者以前に日本のトッププレーヤーとして戦ってきた数々の経験が言わせる言葉だろう。が、その言葉を自然に口にできるのはキャリアではなく、網野の人間性に違いない。

水泳、サッカーで才能を発揮した少年は高校でバスケットと出会う
1980 年、東京都あきる野市生まれ。両親と1つ上の兄との4人家族で、幼いころから卓越した運動能力を持つ『絵に描いたようなスポーツ少年』だった。スイミングスクールに通う母に付いていって3歳で始めた水泳はあれよあれよと上達して、あきる野市の水泳大会において小1~小6まで連続優勝という記録を打ち立てる。小学2年生から始めたサッカーも然り。地区の選抜メンバーにも選出されるほどの実力を身につけ、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のユースチーム加入を視野に入れていた時期もあったという。
「そんなに好きだったサッカーをどうして高校で続けなかったの?なぜバスケット部に入ったの?という質問はたくさん受けました。確かにそうですよね。理由はいろいろあるんですが、ひと言で言えば東海大菅生高校入学と同時にバスケに出会ってしまったんですね。まあ、正しくはバスケ部に捕まってしまったわけですが(笑)。中学の3年間で30cmぐらい伸びた僕の身長は190cm近くになっていて多分入学式でも目立っていたと思います。で、式典が終わって外に出たらすぐ声をかけてきた人がいて、それがバスケ部の顧問の近藤先生だったんです。他にもバスケ部の人たちがいてパッと囲まれてそのまま拉致されました(笑)」
もちろん、強制されていやいや入部したわけではない。

「僕はそのころ少年ジャンプで連載されていた『スラムダンク』に大ハマりしたドンピシャのスラムダンク世代なんですよ。あと、バルセロナ・オリンピックのドリームチーム(マイケル・ジョーダンを筆頭にNBAのスーパースターが集結したアメリカ代表チーム)が火付け役になって、日本にもバスケブームが来た時代でもありました。普段の生活の中に『バスケット』というワードがよく出てくるようになってバスケカルチャーが浸透していった気がします。たとえば制服にバッシュを履くのがおしゃれで、みんな履いてた。僕も履いてた(笑)。バスケってなんかカッコいいなあ、ちょっとやってみたいなあと思っていた人はきっと多かったはずだし、自分も例外ではなかったと思います」
とは言え、当時の東海大管生は都大会を勝ち抜き関東大会に出場することを目標に掲げていたチーム。バスケットの推薦枠で入って来た選手もおり、バスケ初心者の網野にすれば「全然レベルが違う世界」だった。











