そんな近藤がこれまでにないほど集中した日々を過ごしたのが、リオデジャネイロオリンピックの女子日本代表に選ばれるまでの数か月だった。
「正直、オリンピックに出られたのは奇跡だなという感覚です。大学3、4年生のときもあまりいい結果を残せなくて、あまり自信がないままトヨタに入ったところからスタートして、試合に出られるかどうかさえもわかりませんでした。当時は川原(麻耶)さんもいたし、栗原(三佳)さんもいて、すごく不安を抱きながらプレーしていたんです。本当に日々ガムシャラにやるしかない状況だったんですね。でもそこからトントントンと、ユニバーシアードに出たり、女子日本代表の候補に選ばれるようになったりして、自分が思っていたよりもどんどん先に連れていかれるというか、気持ちが追いついていかない感覚があったんです。でもオリンピックの候補に入ったときに初めて『オリンピックに出られるところにいるんだな』と気が付きました。『頑張ったらオリンピックに出られるかもしれんのや』って思ったら、それが決まるまでの2〜3カ月は死ぬ気で頑張りました(笑)。今までで一番頑張ったんじゃないかなっていうくらい、集中力もメンタルもすごく充実した時期でした」
その頑張りは結実し、近藤はリオデジャネイロオリンピックの女子日本代表に選ばれた。
ただ、だからといって、それをきっかけに自らのスタイルを180度変えるような近藤ではない。あくまでも自分らしく、常に自分の力を100%出し切ることだけにフォーカスして、オリンピックも戦った。結果は8位に終わり、悔しさも味わったが、そこで得た貴重な経験が三好や長岡らが移籍してきたシーズンに大きな力となった。
「オリンピックでも6番手か7番手で出て、結果を残せたことが自分の中ですごく自信になっていたんです。トヨタでも4年目からベンチスタートになって、それでも集中力を高めたまま結果を残すことにすごくやりがいを感じるようになりました」
若手の台頭や移籍によるチーム構成の変更など、選手起用が前年と大きく変わる事例はいくらでもある。スタメンから外された選手も古今東西、数えきれないほどいる。そのときいかに気持ちを高く保てるか。少なくとも近藤はスタメンからベンチスタートに替えられても、気持ちだけは高く保ち続けた。オリンピックでベンチスタートの重要性を認識し、自分が出たときに流れを変えられたらいいな、大事なところでの1本を確実に決めたいといったメンタルを持つことができるようになったのである。
「スタメンじゃなくなったからといって気持ちが後ろ向きになったら、たぶん試合の途中から出ても結果を残せないと自分の中でわかっていたんです。だからそのポジションで自分のやるべきことに集中してできたのはよかったと思います。それはそれまでにいろんな経験をできていたことがすごく大きかったなと」
トヨタ自動車での5年間で酸いも甘いも経験した近藤だからこそ、新天地・デンソーでもこれまでとは異なる色の花を咲かせることができるはずだ。常に前向きで、自分のできる100%を出そうとする近藤ならば ── 。
part3へ続く
文 三上太
写真 吉田宗彦