「正直、チームをまとめる力がすごくあるわけじゃないんですけど、まとめていきたいという想いはあって、でも高校生のときはリーダーをやりますって言う勇気がなくて、自分の中でもやもやしていたところはあったと思うんです。最後、引退するときに『やっぱりやっておけば良かった』と思って、今はプロチームでトライしたり、理学療法士をしながらバスケを続けて、なおかつ後輩たちの面倒も見るという、自分の可能性を信じてどんどんチャレンジしているところだと思います」

「後輩たちの面倒を見る」というのは、今年度から佐野が1学年上のフェレイラミユキとともにコーチとして久喜高の練習に顔を出していることを指す。週1回、もしくは2週間に1回という頻度だが、早川コーチは練習メニューも2人に任せ、馬瓜エブリン(Wリーグ・ENEOS)主催のMARVEROUS ∞(マーベラスエイト)にKUKI GYMRATSが出場した際も、早川コーチではなく2人がチームに帯同した。なお、KUKI GYMRATSは5人制で全国上位常連の大阪薫英女学院高を破って優勝を果たしている。そんなコートとしての経験もまた、佐野にとっては大きな意味を持つものだった。
「好きなバスケをやりたいと思っても、実習とか忙しいじゃないですか。大変な中をもがきながら、練習に全然行けてないのに試合に出させてもらうのは申し訳ないとか、いろんな葛藤があったみたいなんですよ。でも、今回後輩の指導を2人に任せてる中で、『私たちももう1回日本一になりたい』ってモチベーションが出てきたみたいです」(早川コーチ)
佐野自身も「後輩たちを見れば見るほどやりたくなっちゃう」と改めて心に火がついたことを感じたという。TOKYO BBの中でも若手で構成されるセカンドチームに回ることが多い佐野だが、この日は主軸の山澤恵や栗原利佳とともにプレー。この機会も、コーチとしての経験も、全てが成長のために必要な材料だ。

「自分発信がすごく苦手で、いつもメグさんや利佳さんから言われるままなので、トップのメンバーに入っても『ついていこう』じゃなくて自分からもっと積極的にやっていけるようにしていきたいと思ってます。社会人になってから『もうバスケはいいや』って何回もなっちゃってて(笑)、でも久喜高校でコーチをやるようになってからみんなに刺激を貰って、もっと上を目指さなきゃって思えたし、結果的にコーチをやったことでTOKYO BBでももっと頑張ろうって思えるようになったのは良かったです」











