明治大学バスケット部を早期退部し、単身渡加。カナダリーグで腕を磨いた後、フィリピンリーグでもプレーするなど、早い時期から世界に目を向けてきたのが安藤だ。それでもなかなか日の目を見ることはなく、帰国を余儀なくされたが、Bリーグの秋田ノーザンハピネッツからレンタル移籍でアルバルク東京に移ると、一気に才能が開花。翌年には完全移籍を果たし、チームの連覇にも貢献した。そうしてつかんだ初めての日本代表(A代表)であり、ワールドカップ出場である。
もちろん、その選出には富樫勇樹(千葉ジェッツふなばし)のケガによる“繰り上げ当選”があったのかもしれない。しかしそれもアスリートの運命である。それを生かすか殺すかは安藤本人にかかっていたわけだ。
果たしてワールドカップ。トルコ戦、チェコ戦といずれもコートに立てなかったが、アメリカ戦では第1クォーターの残り3分46秒からコートに入った。その後16分52秒をプレーし、シュートを4本打ち(うち1本は3ポイントシュート)、すべてを外した。いや、1本はケンバ・ウォーカーのブロックショットを受けたから、打ったとも、外したともいえないのかもしれない。リバウンド1本、ターンオーバー2、ファウルを受けた回数1回。それが安藤の、現時点でのワールドカップにおける全記録である。
「今日、この試合でやった感覚を絶対に忘れないようにします。イメージしていても、この場に立たないと絶対にわからなかったことってあると思うし、体で感じたことを今後のバスケットキャリアでずーっと思いながら、バスケット人生を送っていこうという覚悟を決めました。今、そういう気持ちです」
チームとしては完敗。個人としてもまったく満足できる内容ではなかった。それでも世界ナンバーワンの国に立ち向かう舞台に立ち、実際に立ち向かったことで安藤は決意を新たにした。しかもその決意は単に「ずっと」思い続けるものではなく、「ずーっと」思い続けるものだ。この長音符「ー」にこそ、彼の覚悟は込められている。
「やっぱり普通に(日本代表の)メンバーに入り続けることが、国際大会の試合に出られる権利なので、12人に常に入り続けたいです。1試合でも戦えると『経験』って言えると思うんですけど、やっぱりできるだけ目の前の勝負に、勝敗に、コートに立てるようにしなきゃいけないなって思います」
東莞でおこなわれる順位決定戦はもちろんのこと、来年、2020年におこなわれる「東京オリンピック2020」に立つには、まず日本代表に選ばれなければいけない。同じポジションには篠山竜青がいて、富樫も帰ってくる。それ以外にも虎視眈々とその座を狙っている選手も少なくない。
安藤の、長音符に込めた覚悟を形にする戦いは、すでに上海から始まっている。
文 三上太
写真 安井麻実