ビッグマンレジェンドインタビュー 北原憲彦

いつだってバスケットは楽しかった part1

── ということは、北原さんは高校生でありながら大学の合宿所に住むことになったんですか?

そうです。高校生は僕だけ。マネジャーさんと2人部屋でした。

── 住み心地は?

最高でしたね。何が良かったって、僕は姉2人の末っ子なんですが、合宿所に入ったおかげでたくさんのいいお兄ちゃんができたことです。それもただのお兄ちゃんじゃない。明治といえば当時インカレで優勝するぐらいのチームですから全国から有力選手が集まっています。そういう大学のトップアスリートが普段どんなことに気をつけて、どんな生活をしているのか、一緒に暮らすことでいっぱい学ぶことができたんですね。お兄ちゃんは20人ぐらいいましたが、もうほんとにね、みんな優しくて、体だけ大きい弟をすごく可愛がってくれました。ただね、僕は大学を含めると7年間、この合宿所に住んだわけですが、近所のお米屋さんとか八百屋さんのおじさんやおばさんに「あんた、まだ卒業できないの?」「何年留年すれば気がすむの?」と、言われたのにはまいりましたね。いや、それ、違いますからって(笑)

── 明大中野に入学した当時は2mの有望選手として注目を集めましたね。

それがですね。正直に話すと、僕の身長は197cmだったんですよ。ところが当時の高校のマネジャーが「197cmなんて中途半端だから2mで登録しよう。その方がインパクトがあるし注目度も上がる」と言って、僕もそのうち3cmぐらい伸びるだろうと、言われるがままに2mで登録したんです。けど、それからまったく伸びなかった。197cmのまま。だから、高校から現役を引退するまで、ずっと3cmサバ読むことになりました(笑)

── サバを読んでも197cm、期待されるルーキーであることに変わりなかったと思います。高校の練習はやはり厳しかったですか?

厳しいことは厳しかったですけど、僕が想像していたのとは違っていました。東京の強豪校なんだから坊主頭で歯を食いしばって…みたいなイメージを勝手に抱いてたんですけど、僕が入学する前年に坊主頭の規則は廃止されていたし、監督の江上(勝幸)先生の指導もちょっと変わっていたというか。先生の指導の根底には『スポーツはあくまで楽しんでやるもの』という考えがあって、練習は集中して全力でやるけど、休むときはしっかり休む。試合のない日曜日は基本休みでした。「おまえたちはバスケット選手の前に高校生であり、部活を通して人としてどう成長していくかが大事」というのが先生の口癖で、2mの選手だろうと特別扱いされることは一切なかったですね。今振り返っても、江上先生はバスケットの指導者であると同時に優れた教育者だったなあと思います。そういう先生と巡り合えたことは本当に幸運でした。

── 全国デビューは1年生のインターハイですか?

そうです。途中から出してもらいました。でも、ほとんど貢献できないまま終わった記憶がありますね。そのあと、なんのメディアかは忘れましたが僕についての記事があって「北原は背が高いだけの一少年だった」と書いてあった(笑)。ショックだけど事実。高校1年のころの僕はそれぐらいの選手だったということです。

part2へ続く
同じ時代を戦ったビッグマンとして岡山(恭崇)君を尊敬しています

 

文 松原貴実
写真 沼田侑悟