ビッグマンレジェンドインタビュー 北原憲彦

いつだってバスケットは楽しかった part2

part1より続く

高校1年のとき「背が高いだけの一少年」と評された北原だが、その後着実な成長を見せ、新チームとして出場する春の選抜大会(※3年生を送り出した春に新3年生、新2年生が主体となって戦う、現在のウインターカップの前身となる大会)ではスタメンとして優勝に貢献した。この年、明大中野はインターハイ、国体も制して3冠を成し遂げるが、その中にあって北原の目覚ましい活躍は“超高校級”と評された。進んだ明治大学では1年からチームの主力となり、2年、3年、4年とインカレ3連覇を達成。2年次の天皇杯では並みいる実業団の強豪チームを倒し日本一に輝く立役者となった。

 

同じ時代を戦ったビッグマンとして岡山(恭崇)君を尊敬しています

── 高校から大学の合宿所住まいでしたから、当然のごとく大学は明治一択ですね。

はい、明治以外の大学からは一つもオファーは来ませんでした(笑)。ただ高校選抜チームでハワイに遠征したときに僕のプレーを見てくれたハワイ大からは声がかかったんですよ。それと大学に入って対戦した複数のアメリカの大学からは奨学金を出すから転校してこないかという話ももらいました。

── えー、それは初めて聞きました。

でも、今の八村(塁)君とか渡邊(雄太)君とはレベルは全然違いますよ(笑)。最初に経験した世界の舞台はソ連(ロシア)で行われたユニバーシアード大会なんですけど、大学のオールスターを揃えてダントツに強かったアメリカはもちろんのこと、どのチームもレベルが高く、ああこれが世界なのかとびっくりしました。自分がアメリカの大学に行ってNBAを目指すなんて考えられなかったですね。それに当時は日本の大学を卒業して、就職して、その会社のバスケットチームでプレーするっていうのがあたりまえというか、そういう時代だったんです。

── 日本代表入りしたのは大学1年のときですか?

そうです。実は高校のときにお話をいただいて、協会の方が高校まで何度も足を運んでくださったんですが、高校生である以上授業と部活を優先させたいと高校側から断っていたんです。で、大学に入ってすぐ代表入りしたんですが、やっぱり最初の年は大学の練習と代表の合宿が重なって大変でした。1年の秋のリーグ戦のときは試合に出たあと地方でやってる代表合宿に通っていたんですよ。(代表チームが)東京で合宿しているときは午前と午後の練習に出たあと、大学に戻って夜の練習に出る。つまりは3部練で1日中練習しているわけです。若いとはいえさすがに疲れました。体調が悪くなって病院に行ったら、あっさり「過労ですね」と、言われちゃって(笑)。それでもリーグ戦はなんとか乗り切って優勝したんですが、インカレのときは疲れがピークで何もできないまま1回戦負け。リーグ優勝したチームが1回戦負けですよ。がっくりしたけど、代表の合宿は続いているのでその足で宿舎に行きました。もう夕食の時間は終わっていて、ポツンと1人自分のご飯を食べていると、監督の笠原(成元)先生が2階から降りてらしたんです。「北原、インカレは残念だったな。でも、がっかりするな。おまえにはまだナショナルチーム(日本代表)があるんだ。これからまた頑張れよ」って、目の前に出来上がったばかりの代表のユニフォームをバァーンと置かれてね。ひっそりとした食堂で先生に励まされたあの光景はまだ目に浮かびます。笑っていいのか、泣いていいのか、心境的にはちょっと複雑でしたけど(笑)

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