バスケットボール温故知新 内海知秀

実るほど頭(こうべ)を垂れて part1

2017年9月にレバンガ北海道のアドバイザリーコーチとなり、昨シーズン途中からヘッドコーチに就任した内海知秀は引き続き今シーズンも北海道の指揮を執ることになった。現役時代は高確率シュートを武器に日本代表として活躍、引退後は札幌大の監督を経て女子バスケットボール界に身を転じると、Wリーグのトップチーム、JOMOサンフラワーズ(現JX-ENEOSサンフラワーズ)を率いて数々の栄誉を手にした。また、女子日本代表チームの指揮官を任された2004年にはアテネオリンピック、時を挟んで2016年にはリオデジャネイロオリンピックに出場。2度に渡り世界最高峰の舞台に牽引したヘッドコーチは史上初であり、その功績は讃えられるものだろう。振り返れば幾多の輝かしい場面が甦るが、60歳となった今、彼が見据えるのはBリーグのコートだ。昨季10勝50敗で18チーム中17位に沈んだチームをどう立て直すのか。担った責任の重さは十分承知している。だが、「私を必要としてくれるのはありがたいこと」と、語る内海に迷いはない。「経歴とか男子とか女子とか、そんなことは関係ありません。私がやることは、この場所で全力を尽くすこと。選手たちとともに強いレバンガを目指すことだけです

時を経て、努力の結果を知ることもある

── 内海さんは秋田の能代工高校出身ですが、お生まれは青森なんですね。

はい。青森県三沢市です。父が高校、母が小学校の教員をしている家庭で、妹2人の長男として育ちました。

── バスケットを始めたのは?

中学からですね。私たちの時代にはまだミニバスはなかったので、小学校のころはソフトボールをやったり、陸上をやったり。でも、父がバスケットの指導者で、審判もしていたのでバスケットの試合はよく見に行ってました。

── 子どものころからバスケットは身近にあったわけですね。

そうです。だから、中学でバスケット部に入ったのもごく自然なことでした。別に父から「バスケットをやれ」と言われた覚えもないし、多分自分の中でそれだけ身近なスポーツだったんでしょうね。

── 当時のポジションは?

チームの中では大きい方だったのでセンターをやっていました。2年生から主力になって3年のときに初めて県大会で優勝したんです。東北大会では秋田のチームに敗れて3位に終わったんですが、そのときの同級生とは「みんなで同じ高校へ行ってインターハイを目指そう」と約束して、仲がいいチームだったし楽しかったですね。

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