バスケットボール温故知新 内海知秀

実るほど頭(こうべ)を垂れて part1

── 試合に出るようになったのはいつごろから?

使ってもらえるようになったのは1年の終わりごろからです。当時の高校三大大会は春の選抜とインターハイと国体。春の選抜というのは今のウインターカップに当たるもので、秋に3年生を送り出した後の新チームで臨む大会でした。能代工は私が1年の最後に出たこの大会に優勝してインターハイ、国体も優勝。翌年も3冠を達成しました。

── 常勝軍団と言われた時代ですね。

『勝たなくてはいけないチーム』でした。私は何も知らないまま能代工に入ったわけですが、入ってすぐに感じたのはそのことです。ここ(能代工)は勝つことがあたりまえ、常に勝つことを期待されているチームなんだと。

── 常勝チームであるためのプレッシャーはなかったですか?

なかったとは言えませんが、それより“自分がやるべきことをやる”というか、勝つためにはどうしたらいいのか、自分はどんな練習をしたらいいのか、そういうことをずっと考えていたように思います。自分にとって能代工の3年間で何がよかったかというと、1つは『勝つために何をすべきか』を思考する訓練ができたこと、もう1つはそのための努力ができるようになったこと。もちろん、そのときは無我夢中でやっていただけですよ。自分なりに一生懸命考えて、必死に練習していただけ。

── 得たものはそのときではなく、後になって気づいた?

そうですね。それは練習以外のことでもありました。たとえば秋になるとバスケット部の1年生は体育館周辺の落ち葉掃除をしなきゃいけない。冬には正門から続く道の雪かきをしなきゃいけない。これが結構大変で、なんでバスケ部がこんなことまでやらなきゃいけないんだと思うわけです。

── なぜバスケ部なんだ、なぜ俺たちなんだと。

そうそう、当時は心の中でブチブチ言いながら(笑)。けどね、後になると、そういう『だれかのためにやる仕事』を経験できたのはよかったなあと思うんですよ。何かしら自分のプラスになっている気がするんですね。さっきの練習の話も同じで、そのときはわからなくても自分なりに一生懸命考えたり、積み重ねたものは必ず自分の実になっているはずです。

── 努力したことは消えない?

そう思います。努力したことは自分の中に残ります。時を経てそれがわかることもある。自分を助けてくれることもある。選手としてだけではなく、指導者としても人間としてもね。これは私の実感です。

part2「レベルの高い選手と競い合うことで“欲”が芽生えた」へ続く

文 松原貴実
写真 安井麻実

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