12月。
イエスキリストの生誕を祝うその日に、全身を赤で揃えた白ひげの老人がトナカイのひくソリに乗って子供たちにバラマキを施す。
幼い頃から当たり前のこととしてずっと受け入れてきた現実だが、改めて考えてみると、何をモチベーションの源泉としてこの赤づくめの爺さんは我々に夢と現物を配って回るのか、それが腑に落ちない。
厳しい寒さに耐えながら、しかも住居侵入罪で訴えられる危険を犯してまでやり遂げなければならない事情とは一体どのようなものなのだろう。
果たしてそれは神の子の誕生と深い関わりを持つのか。
もしかして布教活動の一環として入信を促しにきただけなのだろうか。
はたまた彼の身を覆う色に象徴された思想的主義に基づいて、分配の業務を全うしにきた同志ニコラウスであるのか。
いずれにしても、過酷な労働環境に老体がいつまで持ちこたえられるのかが気掛かりでならない。
2月。
爺さんの意図はどうあれ、クリスマスに正当な理由がないまま報酬を受け取ってしまったことにより、いつ来るとも知れぬ税務署の調査員に怯える日々を過ごしていると、何の因果か個人間による内密なチョコレートの受け渡しが全国各所にて横行しだす。
聖ヴァレンティヌス卿が没した日に合わせて茶色い砂糖の塊を差し出すといった発想の飛躍には、さすがのプレバト夏井先生も添削に苦心するところだろうが、手渡される小包がただの洋菓子ではなく、血の契約書にも等しい代物だとすれば得心がいく。
「これを譲渡された者(乙)は、元の所有者(甲)に対し、譲渡品が有する価値を上回る物品を一ヶ月後に返礼する義務を負う」
こうしてエントロピーを凌駕する契約を結んだ人々は、願い事(チョコ)と引き換えに魔女を討伐する使命を背負い、ソウルジェムの尽きるその日まで戦い続ける。
そして3月。
もはやどんな聖人の偉業も拠り所としない14日の儀礼は、2月に選ばれし勇者のみに参加することを許される。
それ以外のモブキャラはただただ目を閉じ、耳を塞ぎ、口をつぐんでこの日が通過するまで耐え忍ぶことしかできない。
平凡なる村人Bとしてではなく、伝説の勇者として堂々と生きていくことを望んだ僕は保険として、去る3月14日、キットカットと共に自分で自分に愛を伝えた。
そしてそのお返しをまた自らに贈ることで、契約を満了させる段取りをつける。
僕の、僕による、僕のためのホワイトデー。
いつもありがとう、僕。
バレンタインデーに恥を忍んで買ってくれたチョコ、嬉しかったよ。
店員さん、ちょっとニヤついてたね。
そんな二人(一人)の明るい未来を祝して、僕が僕に手渡したプレゼント。
それが、豆腐。