「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉は、もちろん皆さんご存知だろう。
いや、こんな風に決めてかかるとZ世代の若者たちから「これだから1000年代生まれの人類は…」と舌打ちされてしまいかねない。
つい先日も、船で生きていそうな同僚から「“土踏まず“とはなにを意味するものか」という指摘を受けたので説明したところ、「あぁ、アーチっすね」と返される珍事が発生したばかりだ。
西洋文化の台頭著しい現代社会において、「学問のすすめ」はもはや外国文学に位置づけられてもおかしくないのかもしれないが、一万円の人が役目を終えてしまうその前に、改めて2000年代生まれの新人類にもその主張をお伝えしておきたい。
冒頭の一節は福沢諭吉先生による名著、「学問のすすめ」の開幕文より抜粋したものである。
誰だよ福沢って、ジャストミートかよ、といったニュータイプ諸氏の脳内に当然の如く浮かび上がったであろう疑問にお答えすると、福沢諭吉という人物は天保5年生まれの日本の武士、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者、とウィキペディアに書いてある。
え? うそ、武士?
福沢先生って武士なの?ていうか天保?天保っていつよ?と思ったので調べてみたら江戸でした。
なんか聞いたことあるわ、学校の授業とかで。「テンポウノキキン」とかってやつね。
それにしても武士かー、イメージ変わるわー。
慶應を作った人っていう印象しかなかったから、まさかお侍さんだったとは思いもよらなかったでござるよ。
あー、あれか。江戸時代は武士やってましたけど、明治維新でお仕事なくなっちゃったでござるよ系の人か。まあ知らんけどね。ウィキペディアの経歴が長すぎてちょっと読むの諦めちゃったけどね。
それで必死に勉強して学校まで作っちゃったのかね。「学問のすすめ」ってそーゆーことだったのね。なるほどなー。
いやね、僕がなにを伝えたかったかっていうと、「天は人の上に人を造らず」とは福沢先生おっしゃるけれども、実際人の上には人がいるし、人の下には人がいるよね、綺麗ごとはよしておくれよって賢明な皆さんならば思われると思うんですよ。
でもこの言葉には続きがあって、平等でない格差は世の中に歴然と存在しているので、それをひっくり返すために学問を修めましょう、つまるところが「学問のすすめ」なんですよってことを先生は言いたかったんだけど、なぜか一部分だけがフォーカスされて全く逆の使われ方をしてしまってるよね、って話がしたかったんです。
でもそんなんどーでも良くなったわ。武士だもん。
これはもうNHK大河でじっくりやってもらわなくては。
だってウィキペディアも長くて、「学問のすすめ」も昔の言葉で書かれているから外国語みたいで、なに書いてあるかちょっとよくわかんなかったから。