時が経つのは本当に早いもので、その圧倒的なスピードにはいつも驚かされてばかりだ。
先月くらいに「あけましておめでとう」なんて言ってたかと思えばもう紅白歌合戦が始まってたり、昨日「水曜どうでしょう」見たばかりと思ってたのに今日またやってたり、朝起きてプレステの電源入れたら一瞬で外が暗くなってたりするのは一体どういうことなのか。
なぜそんなにも急ぐのか。
もう少しゆっくりしていってはどうか。
責任者には出てきて納得のいく説明をしてもらいたい。
このコラムもいつの間にか始まって一年が過ぎていた。
本当に、いつの間にか、である。
当初は、締め切りに間に合わず担当者にビデオ通話越しで土下座し続ける日々を想像していたが、今のところなんとかなっている。
なんとかなっているばかりか賞レースを獲るまでになってしまって(レース参加者はおそらく一人ではなかっただろうか)、いよいよ本職が怪しくなってきた。
だが最近になって、ふと思うことがある。
一体、「コラム」とはなんなのか。
ここで好き勝手書かせてもらっているものは、自分で言うのもなんだがまるでテーマに統一性がない。
はっきり言って出鱈目だ。
本来ならば連載されているコラムというものは、何かしらのテーマに基づいて続いていくのではないのかと思うのだが、このコラムはあまりにも気移りが過ぎる。
こんなものが果たして大賞などという名誉にあずかってしかるべきなのか、甚だ疑問であるが、ある時、僕に一つの確信をもたらした出来事を思い出した。
それはとある団体の催しのため、全国各地より集められた同業者たちとともに韓国へ出向いたときのことだった。
その期間中のある日の夕食(そういえばこのコラムはここのところ飯の話ばかりである)を各自の判断に委ねられ、異国の地で何を食べるべきか、僕は決めかねていた。
焼肉に行きたい気持ちは強いが、他にも魅力的な選択肢があり過ぎた。
県外への移動とは訳が違う。
体験したことのない、数々のその国特有の料理の中から一つだけを選び、他を全て切り捨てるなんて真似を簡単にできようはずがない。
自国でも似たテイストを味わうことはできるものの、韓国ならではのスタイルを求めて焼肉に向かうのか。
あるいは初めての体験を求めて、これまで食べたことなのない韓国料理に挑戦するのか。
ホテルの一室で数人と顔を合わせ、究極の選択を迫られていた。
だが韓国の焼肉、このパワーワードにはどうやら抗えそうにない。
誠に遺憾ではあるが、人生における初体験は先延ばしとせざるを得ないかもしれない。
そんなとき、頼りになるのはやはり、正中岳城だった。
「お前が焼肉やと思ったもんが、焼肉や」
みたいなこと言ってた気がする。
あんまり覚えてないけど。
でもその時、目から鱗が落ちたのは覚えている。
そうなのだ、僕が焼肉だと思えば何を食べていたとしても、それは僕にとっての焼肉となるのだ。
誰もが心の中に自分だけの焼肉を持っている。
そんなふうにも正中さんはおっしゃっていた。
全くもって彼の言う通り、正中さんの言う通り、である。
マンダムさんは早いとこ次期CMのイメージキャラクターに彼を起用すべきである。
これで心おきなく初めての韓国料理に挑むことができる。
そればかりか、その未知の食べ物を「焼肉」と認知するだけで、韓国の焼肉を同時に食することすらできるのだ。
こんなにも画期的な発明がこれまでにあっただろうか。
心のモヤモヤがスッキリとし、晴れ晴れとした気持ちで食べたその日の焼肉には、「冷麺」という名前が付けられていた気がする。
すごく日本で食べたことのある味がした。