ここ数年の間、シーズンオフになって個人的に気にかけているのは体重の増加である。
かつては増やせるだけ増やそうと試みた時期もあったが、今は増えすぎると動きづらい。
なので、妻から
「一緒にクレンズしよう」
と誘われたときも、よい機会と思いやってみることにした。
クレンズとはちょっとした断食のようなもので、定められた期間中は固形物を摂取せず、ひたすら酵素ジュースのみを飲んで過ごすというデトックス法だ。
これを行うことにより胃腸が休まり、体がリセットされるといった効果が期待できるらしく、「体が軽くなった」「味覚が研ぎ澄まされた」「大勝利」(妻談)などの喜びの声が多数寄せられているらしい。
まあなにも食べないといってもジュースは飲んでいいわけで、「FF7Rやり過ぎて食べるの忘れちゃう病」の僕からしたら正直言って楽勝だと思う。
ことは前日から始まる。
クレンズを行うには事前の準備が肝要らしく、この日は消化の良い食事を摂り、加工品を避けるよう通達があった。
もちろんコーヒーも飲むことまかりならんとのことで、いきなり生活が一変した。
そうは言っても十分な食事はしているので空腹に悩まされるわけではないが、食べるなといわれれば食べたくなる。
この日の夜は黄色いMの文字が頭の中を行ったり来たりするのを眺めながら眠りについた。
クレンズ当日。
まずは効果を検証するために、起床してすぐ体重を測る。
77.7kg。
縁起が良すぎる。
すでに勝ったも同然である。
大勝利とはこのことであったかと思い、とにかく破壊力の高い茶色の食べ物、例えばケンタッキーのオリジナルチキンなどで乾杯をしたかったが、出されたのは鮮やかな色の飲み物だった。
ついに始まったのだ。
もう後戻りは許されない。
意を決して飲んでみると、意外にも味は良い。
健康志向の食品というのはどうしても味わいに難があることが多いが、これならばグビグビ飲めるし満足度も高い。
そしてこのドリンクを一時間に一本づつ飲み続けるというのがクレンズの作法であるらしいが、これがなかなか忙しい。
さらにはジュースと同じだけの量の水も飲む必要があるということで、とにかくトイレが近くなる。
断食とは内なる自分と向き合い、静寂の世界に辿り着くことで悟りを開くようなイメージがだったが、聞こえてくるのは二人分のトイレ洗浄音ばかりだった。
これだけ多忙であれば腹が減る暇もなく、圧倒的大勝利を楽観していたが、夜になって事情が変わった。
午後6時のジュースを最後に、栄養摂取の一切を打ち切られたのだ。
ここからは苛烈を極めた。
まず妻が、
「焼肉食べたい」
と言い出した。
僕は寿司が食べたい。
ラーメンも食べたいしピザも食べたい。
食事制限中にこのような会話が悪影響しかもたらさないことは百も承知だったが、わかっていてもやめられなかった。
藤川球児のストレートを打てなかったバッターの心理は多分、こんな感じだったと思う。
「俺、この断食が終わったら中華を食うんだ」
謎のフラグを立ててこの日は早めに寝ることにした。
空腹に打ち勝つ唯一の策は、意識を消すことだった。