無限に続くかと思われた試練の道を越えた先の道後温泉本館。
日本最古の温泉とも言われる歴史情緒溢れるその浴場は、とにかく人で溢れかえっていた。
左からおっさん、おっさん、ひとつ飛ばしてまたおっさん、とも言いたくなるくらいの濃厚な風呂場。
若者のグループもいるにはいるけれど、旅の風情を求めた圧倒的なおっさん率で浴槽の人口密度は朝の山手線のそれと同等にまで上昇していた。
なるほど、これが芋を洗うような湯か。
文化遺産、観光地、週末の夜、さらには本館の改修工事という条件が全て揃ったときのみ発生する、まさに激レアイベントだ。
江戸時代の大晦日の再現を、まさかこの地で見られるとは思ってもみなかったおっさんの端くれが、妙なテンションでニヤつきながら浴槽にジョインする。
おそらく、ほぼ全てのおっさんが観光で訪れている道後ビギナーであろうことは間違いなかったが、その中でただ一人だけ、慣れた手つきで淡々とルーティーンをこなす御仁がいた。
それがこのお湯のヌシであろうことは容易に察することができた。
年齢は九十を越えているのではないかという外見ながら、その振る舞いに衰えは見えない。
定位置と思われるカランで身体を流し、しっかりとした足付きで浴槽へと身を滑り込ませる。
あれほどまでに密集していたおっさんの群れに、ヌシが近づくことで道ができていく光景はとても印象的だった。
このヌシはきっとこの地で生まれて、この温泉に毎日入り、その歴史を見届け続ける生き証人なのだろう。
このお湯と一緒に育った兄弟のような関係なのかもしれないなんて、なんだか感慨深い思いで見やっていると、ヌシは特にゆっくりと湯に浸かることはせず、三つあるお湯の流れ口のそれぞれで数分ずつ背中を打たせた後に引き揚げていった。
「妖怪背中流しジジイ」
そんな言葉が僕の頭からしばらく離れなかった。
翌日、僕はまだ松山城にジョインしたことがなかったので、日程の最終日であるこの日に見物する予定でいた。
飛行機の時間も午前中だったため相当な早起きをしなければならなかったが、松山に来る機会がそうそう多くあるわけでもない。
前日の仕事の疲れがなかなか抜けなくなってきたおっさんの体に鞭を打ち、早朝に起き上がって見ると、
めちゃくちゃ雨降ってた。
なので、もっかい寝た。
いっそ夢になってしまえばいいのに。
今回の引用元:『芝浜』/古典落語
石崎巧
1984年生まれ/北陸高校→東海大学→東芝→島根→BVケムニッツ99(ドイツ2部リーグ)→MHPリーゼンルートヴィヒスブルグ(ドイツ1部リーグ)→名古屋→琉球/188cmのベテランガード。広い視野と冷静なゲームコントロールには定評がある。
著者近影は本人による自画像。