バスケ徒然草 第10段

ボヤきの名将

野村克也さんが亡くなった。戦後初にして、キャッチャーとしても史上初の三冠王に輝き、ホームラン数は王貞治さんに次ぐ歴代2位の記録を持つ。選手としてだけではなく、監督としても南海ホークスやヤクルトスワローズなど4チームを率いて、3度の日本一に輝いたことがある。「ID野球」や「野村再生工場」など、プロ野球界にいくつもの革命を起こした。江夏豊さんをリリーフにしたのもノムさんだと言われている。それがなければ、あの『江夏の21球』も生まれなかったわけだ。

ノムさんは勉強家としても知られている。さまざまな書を読みあさり、そこで得た言葉を引用して、選手にプロとしての心得を説いたり、メディアにもさまざまな言葉を提供し続けた。当方もよく使う「負けに不思議の負けなし」も、実際にはノムさんの言葉ではないと後に知るのだが、彼が試合後のインタビューで発したのを聞いて、彼の言葉として引用させてもらっていた。

そんなノムさんが亡くなったという報道を聞いて残念に思う一方で、ふと頭に浮かんだ人物がいる。トヨタ紡織サンシャインラビッツの中川文一ヘッドコーチだ。

選手としてはノムさんに遠く及ばないが、監督としては、いわずもがな、シャンソン化粧品を10連覇に導いた名将である。富士通時代には皇后杯を3連覇し、日本代表のヘッドコーチとしてはアトランタ五輪で8位入賞。日本はリオデジャネイロ五輪でも8位入賞を果たしているが、その20年も前に中川ヘッドコーチはそれを実現させているのだ。もちろん世界選手権にも出場している。監督としての実績はノムさんにも引けを取らない。

週末、その中川ヘッドコーチが率いるトヨタ紡織の試合を見た。古巣ともいうべき富士通とのゲームである。トヨタ紡織はけっして大きな選手がいるわけではないのだが、5人の選手がアウトサイドにポジションを取る「ファイブアウト」を採用し、縦横無尽のカッティングとパッシングで得点シーンを生み出していく。ピック&ダイブをベースとする現代の潮流とは異なるのだが、パッシングのなかにピックプレーを絶妙に織り交ぜている。ノムさん同様、勉強家の中川ヘッドコーチだからこそできるバスケットだとも言える。かつて自らを硬派と言い、「女子と接するのが得意じゃないんや」と明かした名将のバスケットはけっして古びていない。その成果が富士通戦の1勝1敗にも表れているのだろう。

会場で会うと「おう、遠くまでご苦労さん」と声を掛けてくださる人柄に勝負師としてのオーラはない(失礼!)。しかしいったんゲームが始まれば、ジッと戦況を見つめ、ときに孫と呼ばれてもおかしくない年代の選手たちをどやしつける。そんな姿に中川ヘッドコーチの今なお薄れることのないバスケットへの情熱を見つけることができる。

亡くなった野村さんは“ボヤキ”も有名だった。現役時代を知らない当方を含め、若い人にはそちらのイメージのほうが強いかもしれない。中川ヘッドコーチもまたよくボヤく。トヨタ紡織のヘッドコーチに就任したころ、学生の試合会場で会うとよく「ウチくらいのチームだと、なかなかええ選手が来てくれんのや」とボヤいていた。そのころのトヨタ紡織は下位とは言わないまでも中堅をなかなか抜け出せない時期が続いていた。だからめぼしい選手はみんな上位チームに行ってしまうのだと、彼はボヤいてみせた。

しかし今シーズンのトヨタ紡織は一味違う。東藤なな子と齋藤麻未が新規加入し、加藤優希らが移籍してきたことで、これまで育ててきた野町紗希子らと絶妙にマッチし、2月23日現在でリーグ4位につけている。プレーオフ進出もすでに決めている。アーリーエントリーで入ってきた佐坂樹もすでにいい仕事を始めている。

今回は依頼された仕事があったためインタビューすることはできなかったが、結果を出しつつある今も彼は何かをボヤくのだろうか。じっくり話を聞いてみたい。

文・写真 三上太

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