東大進学が目的ではなかった森HCは、東大で過ごしたことで社会的エリートになるのではなく、むしろバスケットへの情熱をよりたぎらせた。卒業後は「先生になってバスケットを教えようと思っていた」とのことだが、バスケットを人生の軸とする方向にシフトし、バスケットを学ぶためにアメリカの大学に留学した。今は、東大出身という “代名詞” を塗り替えたいとさえ思っている。
「東大に行ったことが、バスケットボールで生きていこうという今の僕の根幹になってますし、同時にこの肩書ってこの業界では結構邪魔なので(笑)、“東大の森さん” と言われないようにするのが目標ですね。常について回るものだと思うんですけど、それよりもアルバルクの、ベルテックスのと言ってもらったほうが僕は嬉しいし、そうなっていけるように越谷でも頑張っていきたいなと思ってます」
英語科で教員免許を取得していたことから、アメリカ留学に際して両親には「英語の勉強」を理由にしていた。東大を出てプロバスケットの道に進んだことを、両親がどう思っているのかは気になるところだが、森HCは「どうですかねぇ(笑)」と前置きしつつ、「両親とも教員なので、そこに帰ってきてほしいと思ってたみたいですけど、今こうやって突き進んでることはポジティブにとらえてくれてるんじゃないかなと思ってます。特に母親はバスケットの指導者なので、試合も見に来てくれますし、結構応援してくれてますね」と温かく見守られているようだ。

越谷がB.ONE初代王者を目指す中、強度の高いディフェンスを志向し、静岡を就任1年目にプレーオフに導いた森HCは、前任者・安齋竜三(現・シーホース三河HC)の後釜として適任だ。何より、安齋前HCが強調してきた “戦う姿勢” の継承者となり得ることは、以下のコメントからも深く頷ける。
「どのカテゴリーであっても、僕のチームは日本一泥臭く戦えるチームでありたい。プロがそういうプレーをするからこそ、それに心を打たれる人も多いと思うし、このレベルの選手が一生懸命に、必死にボールを追いかける姿をファンの皆さんにお見せしたいです。そうすることが勝利に近づく一番の方法だと僕は信じてます」
HCとして新たに越谷に請われた今、プロバスケット界でのキャリアは10年を過ぎ、自身の将来もある程度思い描ける立場になったと言える。しかし、本人が見つめているのはあくまでも今。小さな積み重ねが明るい未来を生むという真理を、おそらく森HCはバスケットから学んできたに違いない。
「長い先のビジョンというのはあまり見てなくて、1年1年選手との関わり、スタッフとの関わりを大事にして、その1年を100%で走りきること。その先に、道は勝手につながっていくものだと思ってます。まずは目の前の一瞬一瞬を大事にして、この1年を戦いきりたいと思います」
文・写真 吉川哲彦











