── 当時、指導する上で女子と男子の違いをどのように感じていらっしゃいましたか?
女子は今と違って高校を卒業してすぐ実業団入りする選手が多かったせいもありますが、男子に比べて細かい指導が求められました。が、その分女子の選手は指導者が追い求めるバスケットを忠実に遂行しようとする。「こういうチームを作るためにはこういうプレーが必要。だからこういうところを磨きなさい」と言えば、だれもがそれをまじめに実行します。細かいことを教えるためには男子より時間が必要ですが、時間をかけることで教えたことを着実に身に付けていくのを感じました。ちょっと語弊があるかもしれませんが、そういう意味では指導者が与える影響力は女子の方が大きいように思います。
── 内海さんが指揮を執られた2001年から2003年までチームはWリーグ、オールジャパンで負けなし。『女王』の称号も手にしました。
確かに強かったですね。だけど、そこには金さんが作ってこられた財産もあったと思います。それに当時はライバルもいて決してダントツで強かったわけではないんですよ。あのころの自分を振り返れば連覇の厳しさ、難しさを感じていたように思います。ただ私はその厳しさを「勝ってあたりまえ」と言われた能代工で経験していました。大学でもそう。日体大に進み、2年生でインカレ優勝しましたが、連覇間違いなしと見られていた翌年はケガ、4年生でも優勝を逃し連覇の難しさを痛感しました。
── 現役時代のそういった経験は大きかった?
大きかったと思います。選手時代のその経験がコーチとしての私を助けてくれたというか、うまくは言えないですけど何かしら力になってくれた気はしますね。その後、女子日本代表のヘッドコーチを任されましたが、最初は(女子を指導して)わずか3年の私に務まるのか? と迷う気持ちがありました。でも、私は男子日本代表として身に付けた日の丸の重さは知っています。2度のオリンピックを目指してあと一歩届かなかった悔しさや申しわけなさや…。その重さを知っている自分が女子のコーチとして日の丸を背負うのはなんて言うんですかね、私がやるべきこと、巡ってきた運命(さだめ)のような気がしました。それで腹が決まったんですね。