※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2017年9月末発行vol.13からの転載
チーム練習後の自主練習にも余念がない。だからこそ、大汗をかいて目の前に現れたときに「もう、いいのか?」とあえて、声をかけた。「もう少しだけ待ってもらっていいですか?」もちろん。それでこそ、永吉佑也だ。
だいぶ京都での生活も慣れました。京都は小学校の時に、お母さんとおばあちゃんと旅行で訪れたことがあるだけ。修学旅行でも来たことはなかったし、昨シーズンも京都戦はホームだったのでほとんど初めて。まだ、そんなに観光地には出かけていませんが、天橋立と伏見稲荷(大社)は行きました。伏見稲荷はオススメです。
移籍を決めたのは、自分を変えたい気持ちと本当に京都が自分を必要だと言ってくれたからです。正直、川崎のファンやこれまで支えてくれた人たちのことをまず考えました。でも、今後プロとして活動していく中で、この決断が正しかったと証明すれば良いと思い、移籍を決めました。もっと言ってしまえば、日本代表のこともあります。何度か選ばれてはいますが、その時に周りの選手たちの方が圧倒的にプレータイムは多く、もっと試合に出られるようにしないといけないと思わされました。自分を成長させたいというのが一番大きかったです。
選手との移籍交渉は、アーリーエントリーとして新人を迎えるのと同じ頃から始まっていた。チャンピオンシップへ向かうためにチーム力を結束させなければいけない大事な時期だが、選手個人はその先を見据えた決断を迫られてもいた。
実は…チャンピオンシップの頃にはすでに移籍が決まってました。僕が川崎でプレーするのもファイナルが最後であり、だからこそ勝ちたい気持ちは強かったです。もちろん移籍交渉の時は、それぞれがシーズン中なので、浜口(炎)ヘッドコーチとはいっさい会ってませんし、僕が相談できるのも身内だけでした。チームメイトにも話さず、そのシーズンは川崎で全うしたいという気持ちがありました。
(晴山)ケビンには京都に行くとは明確にせず、「川崎は今シーズン限りかもしれないからお互いにがんばろう」という話だけはしていました。その頃、ケビンは残留の方向だと聞いていたので、京都に移籍することが発表される少し前に、「実は…」と聞かされて驚きました。