旅先でのコーヒーとの出会いは、いつだって心が躍る。
その琥珀色の飲み物がたとえいつも飲んでいるものと同じ豆、同じ味作りをしていたとしても、美味しいの感性を遠く離れた人たちと共有できていることが嬉しくなる。
時には定番から大きく外れた表現に驚かされることもある。
一見したところ豆の個性を十分に活かしきれていないように見えても、一口飲むだけでこれまでの既成概念をぶち壊されてしまったりする。
そんな体験を求めて、コーヒー屋を訪ねる。
なるべく宿泊先から近いところで、身体的コストは最小限に抑えることがコーヒー屋探しの第一条件なのだが、今回は少しばかり微妙な距離感だった。
この日は時間的な余裕はたっぷりあったが、歩いて往復するとなると少し消耗が大きい。
半ば諦めかけて、6時間耐久Switch大会を開催する方向性を固めていたところに、ホテル側が提供しているレンタサイクルの存在を知った。
これならばものの10分もかからずにコーヒー屋へと辿り着くことができる。
すぐさま手続きをして、外に出て、そして気づいた。
とんでもなく天気が良かった。
昨日までは着込まなければ凍えてしまいそうな気温だったが、今日は半袖でちょうどいい陽気だ。
陽射しも穏やかな季節で、青空が広がっていてとても気持ちの良い午後に、コーヒー屋だけで外出を済ませて引きこもるのはあまりに惜しい。
謎の高揚感に包まれた僕は、急遽この後の予定に変更を加えた。
「琵琶湖でも一周するか」
僕には新しいゲームソフトをプレイするときに、クリアするまでは攻略サイトを見ないというポリシーがある。
ネタバレは御免こうむりたいのと、自力でクリアした達成感を僅かばかりも薄めたくないという理由からだ。
そのような人間なので、琵琶湖に対しても一切の情報収集を試みることなく挑んだ。
とはいえ相手は日本一の湖。
実際に直面すると太平洋を望んでいるのとなんら変わりない。
こんなもの一周していたらおそらく夕飯に間に合わないどころか日付すら跨いでしまう恐れがあるので、各所にかかっている橋を利用して、「琵琶湖一周内回りチャレンジ」を敢行することにした。
チャレンジとはいっても、体に大きな負担をかけるつもりはない。
ゆっくりのんびり漕いで、二時間くらいで戻って来れたらちょうどいい。
そんな軽い気持ちで、ペダルを漕ぎ出した。
滋賀県における土地勘がまるでないのでどの方角に向かっているのか検討もつかないまま走り出したが、湖に向かって右方向へ進んでいるのだからおそらく反時計回りのルートのはずだ。
そしてこれは後に判明するのだが、このルートは琵琶湖一周サイクリング野郎の間で正規ルートとして認定されているようだった。
自転車専用の通行帯が整備されており、かつ琵琶湖を間近に眺めながら走ることができることから大人も子供もおねーさんも、こちら側を走行するらしい。
もし逆のルートを選択していた場合、自動車と一緒に車道を走行しなければならず、初心者にとって相当危険な旅路になっていたはずだ。
だが僕はそんなこととはつゆ知らず、本当にたまたまこのルートを選んだに過ぎない。
その理由は、一周したゴール付近にコーヒー屋があるから。
走り出してすぐにコーヒー屋に着いてしまったらもう満足して帰ってしまいそうな気がしたのだ。
コーヒー屋は心の安寧だけでなく、身の安全すら守ってくれる、どこまでも優しい存在だった。