「あの小さな沖縄から出てきて、高校を出てすぐの入団だったので、最初は右も左もわからなかったんですけど、年齢を重ねるにつれ、本当に苦しいこともたくさんあった中で、負けず嫌いでここまで頑張れたというのもあるんですけど、いつも支えてくださるファンの皆さんがいてくれるからこそ私はバスケットができてるんだなと感じて、その人たちのためにバスケットがしたいという一心でここまで現役生活を送れました」

シャンソン化粧品での6年間は仲間にも支えられた。その中で、同じ年に入団した1人が現・新潟アルビレックスBBの鵜澤潤ヘッドコーチ。シャンソン化粧品を離れた後も気にかけ、今回の引退を残念がっていた鵜澤HCの存在は、知名にとっても心強かったようだ。
「今回鵜澤さんに連絡して『先に引退させていただきます』ってお伝えしたんです。それくらいお世話になったというか、バスケット生活の中でもすごく印象に残ってるHCで、すごくコミュニケーションも取ってくれましたし、気にかけてくださっていたので、Wリーグに入って本当にお世話になった1人です」
鵜澤HCはシャンソン化粧品在籍時、3シーズン連続でプレーオフでのアップセットを達成している。中でも、シーズン途中にHCに昇格した2022-23シーズンはレギュラーシーズン7位だったにもかかわらず、プレーオフ初戦で6位のトヨタ紡織を下すと、翌日のクォーターファイナルは3位の三菱電機に対して最大24点差をひっくり返す大逆転劇。知名は第3クォーター終了と同時に3ポイントを決め、第4クォーター終盤の2点ビハインドの場面ではスティールで、直後の小池遥の逆転3ポイントを呼び込んでいる。その後新潟でもプレーオフで2シーズン連続アップセットを演じた鵜澤HCに加え、その鵜澤HCが「ここぞというときに何かをやってくれそうなマインドを持っていた」と評した知名もまた、“逆転のシャンソン” には不可欠な人材だった。
「鵜澤さんがいるときはタフショットとかブザービーターも決めたり、そういったことが重なってたんですけど、それも実力のうちって言っていただいてたのがすごく嬉しい評価で、私のことを信用してコートに立たせてくれて、それで成長できた部分が本当にあるので、感謝しかないですね」
相手が強ければ強いほど立ち向かっていったそのスピリットが、知名のバスケット人生の象徴。それは、強豪校出身ではなかったからこそ持ち得たものだったのかもしれない。本人は謙虚にチームの勝利であることを強調するが、伝統のあるチームに大きく貢献した選手であることは事実だ。

「チャレンジさせていただく場があるのならやってやろうというのは常にありましたし、自分が他の誰かより上ということは全く思ってなくて、ずっとチャレンジャーの気持ちで胸を借りるつもりでプレーしてましたし、それで吸収することもたくさんありました。セミファイナルまで行けたのも個人として勝ったわけじゃなくてチームで成し遂げたことなので、周りの方や環境に感謝したいなって思ってます」
表舞台から姿を消した今、知名がどのような人生を歩んでいくのかは我々には知る由もないことだが、Wリーグ全体のファンにとっても記憶に残る選手として、その爪痕を称えて送り出したい。
文・写真 吉川哲彦











