“その時” が訪れたのは、第2クォーター残り7分33秒のことだった。1月21日の三菱電機戦、津村ゆり子はようやくコートに立った。26試合あるリーグ戦の15試合目、皇后杯も含めると17試合目。既にシーズンの折り返し地点は過ぎていた。
コロナ禍でリハビリが止まった分、復帰戦も1週先送りされる形となったわけだが、津村自身はさらにもう少し先になると思っていた。日立ハイテク戦の後、津村はこう語っている。
「チーム練習にはまだ入ってないんですけど、体はもうだいぶ戻ってきたので、あとはバスケット勘が戻ればという感じです。個人的には、ENEOS戦に出してくれないかなと思ってます。リーグの中断前に出たいなって」
中止となったENEOS戦の代替試合が三菱電機戦の翌週、本来であればリーグ戦の中断期間に入る1月末に組み込まれた。津村はそこでの復帰をイメージしていたのだ。対人練習に加わったのも日立ハイテク戦の後であり、その回数は2回だけ。ミーティングで萩原美樹子ヘッドコーチから「出すかもよ」と出場を示唆され、準備はしたというが、津村にとっては1週前倒しになった格好。「嬉しかったです。ちょっとビックリもしたんですけど(笑)」と驚きもあったが、それでも「緊張は意外となくて、楽しかったというのが一番です。チームメートと一緒にプレーすることもそうだし、ファンの皆様の前でプレーすることができて良かったです」と、コートに立てたことには大きな感慨があった。
津村自身は、「周りは『徐々にパフォーマンスを上げていけばいいから』って言ってくれるんですけど、自分はコートに立つときには100%でいたかったので、練習量の調整もせず、全部みんなと同じ練習をしました」と自らを追い込んできた。試合勘の面では当然ながら万全ではなく、この日の出場は8分43秒にとどまったが、出場時間に制限はかかっておらず、萩原HCも「ゲーム展開によってはどんどん使っていこう」と考えていたという。
「津村がいない前提でセットプレーを組んできたので、そこにまだ慣れていない。このセットの中でどう活きるのかというのを、我々も定義しきれてないし、津村自身も見つけられていない。ただ、ドライブで切っていけるという点で、津村は絶対に必要な存在です」
翌週1月27日のENEOS戦、津村は萩原HCの言葉を証明した。チームが序盤から相手ディフェンスを打破できず、劣勢に回っていた中、津村は第2クォーター残り8分26秒にコートに立つ。最初のシュートは、ディフェンスリバウンドを取った粟津雪乃からのパスを受け、コートを一直線に突っ切ってそのまま打ったレイアップ。これが、ファウルを受けながらねじ込むバスケットカウントとなった。次のポゼッションでは豪快なオフェンスリバウンドからそのままアタックして得点。最終的にチームは29点差をつけられる完敗を喫し、津村も最後は脚をつってしまったが、24分28秒の出場で15得点を挙げたほか、オフェンス3本を含む4リバウンドと2スティールもマークし、この試合のMIPに選ばれている。
三菱電機戦から中4日というスケジュールで練習日数も少なく、津村は「練習であまり手応えがなくて、『やっぱりまだダメだな』と感じてました」とのことだが、一方でその練習から、本来のアグレッシブさを呼び覚ますきっかけを見出してもいた。