── 札幌山の手は代々1年生には優しく、2年生で落とされて、そこから這い上がった3年生が強いと言われます。
東藤 それだけじゃなくて、麻未さんと話しているときに出てくるのが“お前がやらなくてどうするんだポジション”なんです。私も麻未さんも「今年はお前しかいないだろ!?」みたいなことを2〜3年生になって言われて、「そうしないとほかの選手たちがもっと頑張らないだろ」みたいなことは言われていたんです。
齋藤 「麻未がやらなくて誰がやるんだ」っていうのはよく言われたんですけど、私のときは「麻未だけだ」っていう感じではなかったです。1年生に栗林(未和。現・富士通レッドウェーブ)が入ってきて、上島さんは彼女に愛を注いでいたから、私たち3年生は何とか上島さんに振り向いてもらえるよう一生懸命頑張っていました(笑)。
── 上島さんってどういう存在ですか?
齋藤 すべてにおいて尊敬する人です。バスケットに関してはもちろんですけど、人間性のところも「気配り、目配り、心配り」ってすごく言われていて、ゴミが落ちていたら拾うとか、体育館内でも気を配ったり、目を配ったりすることの大切さを上島さんに教わって成長できたと思います。本当に尊敬する、大好きな人です。
── それはトヨタ紡織の体育館でも発揮できていますか?
齋藤 そうですね。でも自分が気づくよりもなな子が気づくほうが早いんで(笑)。
東藤 いやいや(笑)。
── 上島さんは厳しさもあるコーチです。若さゆえに「え?」って思うことはなかった?
東藤 何を言われても、愛のあるムチだと思えるんです。すごく見てくれていて、そのうえでダメなところも言ってくれるから、「え? なんで?」って思うことはなかったです。特に高校時代の私は上島さんが言うことがすべてだと思っていたから、上島さんにダメだと言われたらダメだ、上島さんがちゃんとしろって言っているからちゃんとやらないとっていう素直の子でした。
齋藤 理不尽なことは一切言われなかったので、「なんで?」って思ったことはないですね。正しいと思っているので、怒られたら自分が悪いなと素直に思えるんです。
── 齋藤さんに関しては、その後日本体育大学に進みます。高校からWリーグへという選択肢はなかったんですか?
齋藤 高卒でWリーグに行っても、実力的に足りていなかったし、やっていける自信もなかったんです。日本体育大学に進んだのは山の手の1つ上の先輩がいて、その先輩とまた一緒にバスケットがしたかったから。当時は直接Wリーグに行こうという気持ちはなかったですね。
── そこからWリーグに行こうと思ったのはいつくらい?
齋藤 高校の同級生である佐藤が山の手から直接紡織に行って、そのときに「大学4年間で成長して、また一緒にプレーできるように頑張るから」って約束をしていたんです。だから大学の4年間も心のどこかで「また佐藤と一緒にプレーしたい。Wリーグに行きたい」と思っていたんです。でも大学2年のインカレで右足の前十字靭帯を切ったときは諦めかけたというか、バスケットは大学までかなと思いました。そんなときに上島さんから電話があって「お前は大学で辞めちゃダメだ。また奈々美と一緒にプレーしろ」って言われたので、やろうかなって思いましたね。
part3「一番の大きな目標は日本代表のエースになることです(東藤)」へ続く
文 三上太
写真 W LEAGUE
画像 バスケットボールスピリッツ編集部