part2「キャプテンをやったことが大きかった」より続く
何をやっていいか、まったくわからなかった
吉田亜沙美は生粋のポイントガードではない。彼女自身が自分をポイントガードだと認識したのは2009年以降である。
その年、中川文一(現トヨタ紡織サンシャインラビッツ・ヘッドコーチ)が日本代表のヘッドコーチに就任し、吉田をポイントガードに抜擢した。吉田もそれがポイントガードの始まりだと認めている。
「私を一番初めに正ポイントガードとして起用してくれたのは中川さんだったから、私は今でも中川さんが私をポイントガードにしてくれたって思っています。やっぱりうれしかったですよね。そういうふうに思って見てくれていたんだなって。だから中川さんには感謝しかないです。それがなければJX-ENEOSサンフラワーズに戻ったときもポイントガードではなかったと思います。JX-ENEOSでもヘッドコーチが(佐藤)清美さん(現監督)に替わって、清美さんも私をポイントガードにするって言ってくれていたから、その二人がいなければ私はきっと自分がポイントガードだっていう認識はなかったと思います」
JX-ENEOSでシューティングガードを務めていたときも、日本代表ではポイントガードとしてプレーしている時期はあった。ただしJX-ENEOSがそうであったように正ポイントガードに大神雄子(現トヨタ自動車アンテロープス・アシスタントコーチ)がいる。吉田は彼女の控えに回っていた。経験も実績もない。だからそのころの吉田はポイントガードのポジションを与えられながらも、自分をまだポイントガードだと胸を張って言えなかったのである。
そうした自信のなさはプレーにも表れていたと吉田は振り返る。
「本当に何をやっていいか、まったくわからなかったんです。オフェンスでプレーコールが何個かあるなかで、まず何をコールすればいいかがわからない。何が正解で、何が不正解かがわからない。そうやって最初は悩みながら、自信なさげにプレーしていたから、その自信のなさがチームメートにも伝染していったんですね。でもそれじゃダメだってわかったときに、とりあえず、間違ってもいいから自信を持ってコールしようと思って、やってみたんです。そうしたらみんなが動いてくれて、どうにかディフェンスを崩してくれたときに、『あ、不正解ってないんだな』ってわかったんです。もちろん残り時間やペースによってこのプレーがいいっていう絶対的なものもあるんだけど、それ以外では正解、不正解ってないんだなってわかったときにやりやすくなったかな」