オリンピックではベンチで過ごす時間が長かった。世界最高峰のバスケを特等席から見る王の視線を釘付けにしていたのは「吉田と渡嘉敷(来夢)のホットライン」である。「何度も見てきましたが素晴らしいです。呼吸がすごく合っていますし、そこにディフェンスが寄ることで他の選手が空きます。その二人のプレーのイメージはいまだに残っています」。全てをインプットしていたはずだが、「ちょうど取れない位置にパスをするんです。もう少しでも低ければカットできたと思いますが、あの精度はさすがですね」とファイナルでは分かっていても、JX-ENEOSのホットラインを止められなかった。
Wリーグで一番大きな渡嘉敷も含め、現代バスケはビッグマンも走らなければならない。走ることが苦手で最初はバスケを拒絶していた王だが、「今は走ることの大切さが分かってプレーできています。走ってディフェンスに戻らなければ、一歩でもたとえ数ミリでもやられてしまう。逆にオフェンスで走れば、ディフェンスを動かすことによってフリーの選手ができる。直接得点につながらなくても、考えて走ることでチャンスを作ることができます」と走り続けたことで一つずつ目標を達成してきた。
走ること以上に、Wリーグ屈指の体が強いタフな王。その長所を突き詰めるためにも、ポストプレーで身体を張るスタイルこそが生きる道だ。
「4アウトのチームが増えていますが、三菱は2センター。3Pシュートを打てる4番ポジションもいますが、私の役割はセンターとしてインサイドでプレーすること。昨シーズンにスタッフから、パスでうまくチャンスを作る“インサイドガード”になって欲しいと言われました。円滑にボールが回るように、私はインサイドでポジションを取っていきたい。そのプレーが好きですし、楽しいです」
10年目となる来シーズンへ向け、「年数を重ねていくにつれて、どんどんバスケが好きになっています。最初は嫌々やっていて、そろそろ辞めても良いかなと思っていました。でも、やっぱりバスケが好き。その気持ちの方が毎年、毎日のように強くなっています。10年目は器を大きく、最高のシーズンにしたい。最高の目標が優勝、最低でもベスト4。今まで会社には本当にお世話になってきたので、恩返しをしたいです。そのためにも勝ちたいです」
バスケを始めた中国での中学時代、中国代表やプロになる夢を見ることなく、「2年生になったら辞めると思っていました」。しかし、次から次へと活躍するレーンが用意されていた。夢中で走り続けたことで、オリンピック選手にまでなっていた。Wリーグ10年目も、仲間とともに頂点に向かって走り続ける。
part1【バスケとの出会いは街中でのスカウト】
part2【プラス思考でたどり着いたファイナルの舞台】
文 バスケットボールスピリッツ編集部
写真 吉田宗彦