しかし、全国トップクラスの福岡第一高校出身でも、まわりを見て「最初は圧倒されましたね。第一のスタイルはもうとにかく走ることで、体を鍛えるという発想ではなかった。自分は今も細いですが、フィジカルの差をまず痛感しました。このままじゃ、ヤバいって一番に思いました」
身体を鍛え、少しでも追いつこうと努力しはじめる。だが、しばらく経つと「なんでバスケットやってんだろうな」と、ぼんやり考える時期が訪れる。退部する決意を、佐々木優一監督に話した。タレントも多い専修大学だけに、1年次のオータムリーグでは一度もベンチ入りできなかった。だが、佐々木監督に「お前を使いたい」と言われ、その後のインカレでは2試合出場し、6本のリバウンドを記録。同じポジションのキング開(横浜ビー・コルセアーズ)や喜志永修斗(富山グラウジーズ)ら先輩も、「お前はできるんだから、どんどんやれ」と背中を押してくれた。
「そこまで言ってくれるならば、もうがんばらなければダメだ、この気持ちに応えたいと思って切り替えました」とさまざまな葛藤を乗り越え、3年目の今がある。もう辞めようと思うこともない。原点に立ち返れば、感謝しかない。
「バスケットはもうできないんじゃないかな、と思っていたところに、優一さんが声をかけてくれたのが奇跡。本当に奇跡です」
髪型やヒゲが特殊な自由人
「自分は見た目どおり、自由な感じ。髪型やヒゲが特殊であり、自由人」と独自のスタイルを貫く當山は、専修大学らしい逸材である。日本一になった佐々木監督が現役だった2002年の頃は、もっとインパクトがある選手ばかりだった。
そんな自由人に将来のビジョンを聞けば、「バスケにとらわれずにいろんなことをしたいし、仕事を通していろんな経験をしたい。それが一番ですね。まだ21歳なので、できることもいっぱいあります。後からできると思っても、あっという間に年を取ってしまいますから」と漠然とした話に聞こえるが、妙に現実的にさえ感じる。
FIBAワールドカップの活躍が盛り上がるなか、そこに刺激されることなく「応援する側」と即答。「もうがんばってくださいって感じです。専修でいえば(浅野)ケニーや(介川)アンソニー(翔)がいるので、動けて1番意識が高く、努力している選手を応援していければ良いかなぁ」………ん? 同じようなやりとりを記憶の片隅から掘り起こす。
2014年、アーリーエントリーで当時のトヨタ自動車アルバルク東京に東海大学出身の田中大貴(現・サンロッカーズ渋谷)、青山学院大学出身の張本天傑(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、専修大学出身の宇都直輝(現・富山グラウジーズ)が揃って入団。そのときのインタビューで将来は日本代表を見据えているか、と聞いたときである。専修大学の大先輩は、「大貴と天傑を応援します。僕はいいですよ」と同じようなことを言っていた。その後、宇都は日本代表に選ばれ、今シーズンはB1へ返り咲き、10シーズン目を迎える。
大学でバスケに終止符を打とうとしている當山だが、大先輩にソックリな言動もまた専修大学らしい。気づけばプロとして活躍していそうなニオイを感じた。
「ありそうですね(笑)」
佐々木監督は高校までの “能力貯金” で終わらせることなく、ディフェンス・リバウンド・チームワークの基礎を徹底させ、選手の個性を伸ばす。その育成環境により、専修大学はこれまでも多くのプロ選手を輩出してきた。見た目や言動は自由人でも、真摯にバスケに向き合うマジメな選手ばかりである。
文・写真 泉誠一