── 厳しい(笑)
負けてしょんぼり下を向いて帰ってくるともっと怖いんですよ。「章、下に何か落ちてる?!負けるが勝ちだわや!」と怒られる。物心ついたころからそういったことをずーっと言われてきましたから、たぶん自分の中に染み込んじゃったんでしょうね。高校でバスケットを始めたときもそうですが、自分がやり始めたことは苦労があってもやり通せるようになったのはそのおかげかもしれません。親父もばあちゃんも厳しかったけど、正しいことを教えてもらったなあと思っています。
── 高校ではいつごろから試合に出るようになったのですか?
驚くことに1年の県大会予選、そこでいきなりスタートで起用されたんですよ。
── バスケットを始めてまだ数ヶ月ですよね。
これには理由があって、県大会の前に行われた18km校内マラソン大会で私は2位になったんです。これを見た先生が「デカいのに足が速くてスタミナもある」と思われたみたいでスタメンに抜擢されました。ところが、基礎ができていないから当然のごとくターンオーバーの連発です。できたのは走りまくることだけ。ただただ全力で走りまくって前半で10点取りました。先生から「調子いいな。後半行けるか」と聞かれ、「ダメです」と答えました。スタミナ配分ができなくて後半はボロボロでした。(笑)
── それでもデビュー戦で10得点はすごいです。2年のときは国体メンバーにも選ばれたと聞きました。
はい。当時の私は試合でドリブルを1回つくと周りから「やめろぉ!」と言われるぐらいの選手だったんですが、リバウンドと走力だけはありました。国体メンバーと言えばスキルもあって巧い選手ばかりですから私はダントツに下手くそ。だけど、巧い人たちからいっぱい刺激を受けられるのは楽しかったです。初めての全国大会はわくわくしたし、その経験はいろんな意味でものすごくプラスなったと思います。
── “リバウンドと走力”は進学した日本体育大学でも存分に発揮されたのでは?
日体大の走るバスケットは自分に合っていたと思います。監督の清水義明先生が日本代表チームの監督を務められていたので、西尾(末広)コーチがチームを見られていたんですが、西尾さんはコーチ留学していたケンタッキー大学から帰ってきたばかりで、ケンタッキー大の走るバスケットを練習に取り入れていました。まず体育館3周を10本、逆の3周をまた10本。グラウンドに出れば200m10本のあとに400m5本とか、とにかく走る、走る、陸上部かと思うほど走る。みんなはひっくり返っていましたが、私だけ「わあ、グラウンド走るのはなつかしい。気持ちいい」と言って喜んでいました。