TOKYO BBを選んだのは、齊藤洋介の指導を受けたかったというのが大きな理由だった。齊藤が自身の会社で全国展開していたU18の3×3大会を久喜高で開催したこともあるなど、齊藤と久喜高の縁は深く、「ここで頑張ってきたからこそ洋介さんとの出会いもあったし、洋介さんの指導は新しい発見ばかりで、それを生かして今久喜の子たちにも教えることができてる」と佐野の感謝の気持ちは大きい。
TOKYO BBでの飛躍を期する一方で、佐野は久喜高OGで新たに3×3チームを作ることも考えている。その背景には、既に長く指導している早川コーチがいつ異動になってもおかしくないという県立高ならではの事情がある。早川コーチも先を見据え、久喜高で築いてきたものを継続させる準備をしている段階。佐野らをコーチに招いたこともその一環だ。

「あの子たちがメンターになれば、今のメンバーも卒業した後に後輩の面倒を見るようになって、良い循環になるかなと思うんです。せっかくプロで頑張ってる子たちがいるので、その子たちが関わる環境を作って、私がいなくなってもしばらくは回り続けるように、その仕組み作りをしてるところです。
自分も国体の少年女子の監督をやったり、3人制のほうでJBA(日本バスケットボール協会)の仕事が入ったり、やれることが増えてきてるなと感じます。でもそれも、子どもたちが一生懸命やってくれるから、そういうチャンスが自分に回ってくる。久喜市にはSAITAMA WILDBEARSもあるし、モラージュ菖蒲で開催してる3×3 KUKI HIGHSCHOOL CHAMPIONSHIPという大会が今は草加や越谷でもあって、各地区の優勝チームが3月末にレイクタウンに集まって戦うのも予定されてるんです。そうして広がっていってるのが停滞しちゃうともったいないと思うんですよ」
「毎日が楽しくて仕方なかった。戻りたいってめっちゃ思います。その延長でただバスケが好きで楽しくて、日本一を獲りたくてやってます」と高校時代のかけがえのない青春を思い返す佐野は、KUKI GYMRATSの看板を背負ってプレーすることに特別な思い入れを持つ。特に佐野の場合、1学年上と1学年下がU18日本選手権を制した中、自身の代で優勝できなかったという悔しさが、「日本一を獲るまでは」とより強いモチベーションを生んでいる。久喜高OGとしての誇りを胸に刻みながら、佐野はコートに立つ。
「今後どうなるかはまだわからないですけど、TOKYO BBでもKUKI GYMRATSでも日本一を目指してやっていきたいです。もし早川先生がこの高校からいなくなっても、KUKI GYMRATSは存続していきたい。それをやるのはOGの私たちなのかなって」

文・写真 吉川哲彦











