「諦めないことの大切さは、今地元に帰って子どもたちにも伝えてます。僕がたどってきて、経験してきた道は伝わりやすいと思いますし、楽しむこと、諦めないことでプロになるチャンスがみんなにも来るんだよと伝えていきたいです。受験に失敗したから、強い高校や大学に行けなかったからといって終わりじゃなくて、エリートじゃなくてもチャレンジしていけばいろんな道が開ける。僕みたいに、変な道ではあるんですけど(笑)、右往左往してもプロになれる、長くプロ生活できるという意味では良い見本……ではないな(笑)、特殊な見本ではあるんですけど、正解は1つじゃないということは伝えていけるんじゃないかなと思ってます」
自分でチームを立ち上げた以上、選手としての仕事だけに集中することはできず、41歳の心身にかかる負担は大きい。それでも、チームを持つことの使命感を強く意識することは、自身の幅を広げることにも結びついている。
「チームの運営をして、営業もして、試合に出て、大変の一言ですね(笑)。でも、ゼロから一歩目が一番難しいというところで僕が犠牲になるというか、その一歩目を踏み出すことで次が続いてくれればいいなというのもありますし、どうやってチームを存続させるかとか、選手だけをやってたら気づかないこともたくさんあって、それをこの年齢で経験できてるのはすごくプラスです。なかなかのストレスですが(笑)、この年齢でも成長してると思います」
今に至る自身の歩みを「あっち行きこっち行き、えらい遠回りして(笑)」と振り返りつつ、河相は「楽しんでるなって思いますね」と言葉を続ける。プロになるチャンスを窺っている間も、プロの世界でベンチを温めていた期間も、そして自ら作ったチームで選手以外の業務に追われていても、「バスケットは楽しい」と思いながら取り組んできた河相。新しい道を作ろうとしている今、これまでの道のりを後悔することはない。
「もっと簡単にプロに行けてたかもしれないけど、ストレートで行けてたらたぶんもう引退して普通の仕事に就いてると思うんです。もっともっと楽しんで、40を過ぎてもまだ成長していかないといけないって思いながらやってます。『まだやってるよ』って自分でも思ってますけどね(笑)。
高校までの同級生とかには『若いね、体引き締まってるね』って言われます。みんなおじさんになっていってるんで(笑)。地域貢献や地域振興のためにやってる部分もあるし、それはなかなかできることでもないので、“すごい人” みたいな目で見られることもあります。そういう意味でも、遠回りして良い経験ができてるなって」
「未来ある若手を育てる」というミッションは、今の河相にとっては選手という立場でもまだできることが十分にある。試合にも帯同するなどスタッフとして全面的にサポートする夫人の力を借りながら、まだまだその背中を見せ続ける。これまでのストーリーを考えれば、それを簡単に諦めることはしないはずだ。
文 吉川哲彦
写真提供 3×3.EXE PREMIER