── 落合さんは2018-19シーズンから越谷アルファーズに入団されましたが、以前は越谷の前身である大塚商会、2016年シーズンにはB1の栃木ブレックス(今季より宇都宮ブレックス)に在籍されていましたよね。
落合 はい。大塚商会に入ったのは25歳になったときです。モデルとしても鳴かず飛ばずでバイトをしながらストリートを中心にバスケをしていたんですが、ちょうどその年にJBLからNBL、NBDLに変わるということで無料でトライアウトを受けられると聞いたんです。バスケ選手として自分の評価を知りたかったし、プロとしてバスケで飯が食えるようになればありがたいと思ってトライアウトを受けました。そして大塚商会に入ることが決まり、同時に3×3でプレーすることも認めてもらえて嬉しかったですね。100%バスケに集中できる環境を得られたのは本当に嬉しかったです。その後、栃木に移籍したのは、やはりB1のレベルでもっとスキルアップしたいと思ったからで、オファーをいただいたときはこのチャンスを逃したくないと思いました。
── でも、3×3との両立は難しかったのでは?
落合 難しかったです。3×3のアジアカップが4月だったんですけど、栃木はプレーオフに向けての大事な時期でもあり、どちらも取るというのは無理だと判断しました。それで社長に相談して退団を決めたんです。今の越谷アルファーズはチーム練習にはもちろん参加しますが、3×3を優先してサポートしてくれる環境なので本当に助かっています。ありがたいですね。
小松 僕の場合は今も普通にサラリーマンですけど(笑)。そもそも大学を卒業する時点で自分がプロのバスケ選手になるなんて考えてもみませんでした。僕はゴールデンエイジと言われた世代で、同期にはズラリと有力選手が揃っていたんです。そいつらとずっといっしょにプレーしているとどうしても自分の能力について考えるようになるじゃないですか。(同期の中で)自分がフォーカスされていないというのは重々承知していたし、それだったらバスケをしながらバスケ以外の仕事をしようと決めてたんです。当時はいろんなところの面接に行ったし試験も受けたし、普通に就活していました。
── それで最終的にサラリーマンとして働くことになったんですね。
小松 はい。仕事をしながらバスケもして関東実業団リーグで戦うみたいな。でも、正直、自分の中でバスケは二の次で(バスケで)ストレス解消でできればいいなぐらいの感覚でした。最初の2、3年はきっちりやっていたトレーニングもだんだんごまかし、ごまかしやるようになって。社会人の実業団チームの流れって1年間決まっていて、一番大きな目標は天皇杯に出ることなんですけど、それも4、5年経つとだんだん飽きてくるんですね。飽きてくるっていうのはことばが悪いですけど、なんだろう、マンネリになるというか、このままやっていても自分は成長できないなと感じるようになるっていうか。どうせならちょっと違う場所でバスケをやるのもいいかもしれないと考えたのが27歳か28歳のころかな。で、会社のバスケ部を辞めてクラブチームに入ろうとRBC(東京)のトライアウトを受けたわけです。初めての3×3の公式戦はRBCのメンバーとして出ました。全国大会で優勝したこともあって、やってて楽しかったですね。落合もさっき言ってましたけど、今までやってきたバスケとは違うおもしろさもあって新鮮でした。
── 自分に向いていると感じましたか?
小松 向いている?うーん、それはどうなんでしょうね。自分ではよくわからないですけど、これはもっと多くの人がやるべきだって思ったのは覚えています。それぐらいおもしろかったんでしょうね。
part2に続く「3×3はバスケの“職人”には向いてないかもしれません(小松)」
文 松原貴実
写真 沼田侑悟