1999年、東京ドームで行われたサクラメント・キングスvsミネソタ・ティンバーウルブズが印象深い。ウルヴスは生え抜きのケビン・ガーネットが主役となり、このゲームに先駆けて春先にプロモーション来日も果たしていた。ドアマットチームだったキングスがテコ入れし、魅力的な選手を集めた2シーズン目。そのひとりが、我がウィザーズをプレーオフへと導いたエース、クリス・ウェバーだった。当時はウィザーズファンを辞め、キングスに乗り換えようかと真剣に悩んでいたほどである。もし、この来日が1年早かったら今頃はキングスファンだったかもしれない。その後にいただいた東京ドームで実際に使ったコートを裁断して作られた記念品は、今でも宝物である。
2006年世界選手権(現ワールドカップ)の舞台として、さいたまスーパーアリーナが誕生。こけら落としとなった2000年9月、シドニーオリンピックへ向かうスペイン代表、そしてアメリカ代表が来日して日本代表と対戦。翌2001年には22歳以下の世界の強豪国が集い、ヤングメン世界選手権が開催された。NBAジャパンゲームスもさいたまスーパーアリーナへ舞台を移し、2003年はシアトル・スーパーソニックスvsロサンゼルス・クリッパーズが行われ、本格的なアリーナで日本のファンを魅了する。しかし、NBAブームの終焉とともに、NBAジャパンゲームスは長い期間開催されることはなかった。
ホンモノに触れることで、その後のNBA観戦が豊かなものになる!
当時のNBAジャパンゲームスのすごいところは、いずれも公式戦だったことだ。当たり前だが、日本開催の結果もレギュラーシーズンの結果に反映され、プレーオフ進出の行方を左右する。
正直言って、当時は来日していたチームはいずれも地味。しかし、NBAジャパンゲームス後に成績が上がるという都市伝説のような話も話題となる。実際、シカゴ・ブルズ王朝時代のために優勝こそ手に届かなかったが、1993年にサンズ、1996年はソニックス、1997年から2年連続でジャズがNBAファイナルまで勝ち進んでいる。マイケル・ジョーダンが1度目の引退をしていた間、1994年からロケッツはバック・トゥ・バック(2連覇)を成し遂げ、1995年の相手はマジックだった。ネッツも2002年から2年連続でファイナルの舞台に立ち、キングス(2002年)とウルヴス(2004年)もその後にカンファレンスファイナルまで勝ち進んでいるのは偶然だろうか。だからこそ、このNBAジャパンゲーム神話にあやかり、今年やって来るウィザーズも見違えるような強いチームに生まれ変わって欲しいと切に願う。
2008-09シーズンより本拠地を移転し、オクラホマシティー・サンダーとして生まれ変わる前、緑色のソニックスを見納めできたのも幸運だった。当時は目立たないチームや選手でも、その後に頭角を現すケースは少なくはない。昨シーズンまで我がウィザーズを率いていたスコット・ブルックスヘッドコーチが、ロケッツの一員としてプレーした現役時代を目の当たりにしていたことが今では感慨深い。NBAが海を渡ってやって来るこの機会に目の当たりにし、ホンモノに触れることで、その後のバスケ観戦が豊かなものになる。筆者自身が体験済みだ。
2019年、16年ぶりにNBAジャパンゲームスが開催された。これまでとは違い、プレシーズンゲームとなったが、ジェームズ・ハーデンをはじめとしたスター揃いのヒューストン・ロケッツと、前シーズンのチャンピオンとなったトロント・ラプターズというド派手な復活を果たす。そして今年は、説明不要のウォリアーズとウィザーズがやって来る。
インターネットが普及していなかった90年代、会社をさぼって朝からプレーガイドに並ぶところから戦いがはじまっていた。チケット争奪戦は必至かもしれないが、そこにトライするだけでもひとつのNBA体験である。
文 泉誠一