“最後の一ページ、驚愕の結末にあなたはきっと涙する”
限られたスペースに短く丁寧に書かれたポップから、書店員の作品に対する熱意が伝わってきた気がして足を止めた。
大きめに書かれた見出し文に続き、ダメ押しの一言が添えられている。
“あまりの面白さに一晩で読み切ってしまいました!”
出版されて比較的日が浅い書籍の帯に添えられる推薦文には、明らかに商業主義的な匂いのするコメントが多い。
それは大抵の場合、購買意欲を削ぐ作用しかもたらさないのだが、なぜだろう、本屋が自作する手書きの小さな紙片には、妙な信憑性を感じてしまう。
この本が随分と古い出版物であるにも関わらず熱心に薦められていることも、時の試練を乗り越えた名作であることを物語っているように思えた。
店内のそこかしこに設置されたポップの中には、経済的な事情のためにやむなく絞り出した、本心から近くないところにある言葉が含まれていたっておかしくないはずだが、不思議と疑う気にはなれない。
本屋に勤めている人たちはきっと、本が好きな人たちに違いない。
僕の勝手な思い込みが、彼らの言葉から胡散臭さの一切を排除する。
信頼するあなた方がそこまで言うならば、この本は読むに値するのだろう。
しかし僕とて本読みの端くれ、専門家に寄りかかっているばかりでは今後の読書人生に一抹の不安を抱えることになる。
書物はたくさんのことを知っている。
だが、書物は僕がどんな情報を必要としているかを知らない。
ある分野において自分よりも精通した人の言葉が、必ずしも自分にとって益をもたらすとは限らないのだ。
僕はそれを身をもって知ったはずだった。
書店員に薦められている本をパラパラとめくりながら、数年前のことを思い返していた。
「最近、ニートを始めました」
男は照れ臭そうに言った。
沖縄という土地に対する理解を更に深めようと様々な場所へ足を運んでいると、必然的に知り合う人たちも増えていく。
ある集まりに参加したときに初めて出会ったその男は、僕に大きなインパクトを与えた。
妻も子供もいるんですけどね、と話す口ぶりは現状への危機感よりもなにかから解放されたような安堵を思わせ、むしろ誇りすら感じられたが、その目は笑っていなかった。
面識のない人同士が集う場においても高い社交性を発揮し、全体の雰囲気を明るくする話術に長けているにも関わらず敢えて定職に就かないのはつまり、よほどお金に余裕のある人か、あるいは経済的な競争を放棄して生きることを決めた人、といった印象を受けた。
生涯自宅警備員を志した経験のある僕からすると、憧れる生き方だった。