自分の声が好きではない。
喋っている自分の声を直接聞く限りではとても落ち着いた低音で、顔を隠して会話したら100人中150人くらいの黒髪の乙女が恋に落ちるはずと自負しているが、記録された声を聞いてみるとこんな間抜けな男は世界中見渡してもそういないなと絶望する。
そしてまた、職業柄これを聞かされる機会が少なくないのもよくない。
情報媒体で発言する自分の声を聞くたびに、
「これは誰……?」
と辟易し、恥ずかしくて夜も朝までしか眠れず、食事も三度しか喉を通らなかったりする。
しかも何度繰り返してもこればっかりは慣れるということがない。
じゃあもう見なければよいということで、極力自分が発信したものに触れないような生き方をしているが、だからといって自分の声に心を折られることが一切なくなるかというと実はそんなこともないのだ。
例えば電話。
通常どおりに会話ができていれば問題ないが、電波の状況なのか相手のスピーカー音が反響してなのかわからないけれど、たまに自分の喋った内容がそのまま聞こえてきたりする。
今まさに自分が絶世の美声で伝えたことを、一字一句違えることなくド底辺の悪声でそっくりそのまま返してくる。
いやそのモノマネ、クオリティ低すぎるやろ。
どっかの国のテーマパークかよ。
でもひとつ救いがあるとするならば、電話の声は本人のものではないということだろう。
電話の向こうから聞こえてくる声は電子的に合成されたものであるので、通話している相手の声がそのまま聞こえているわけではない。
よって反響した自分の声も、これはすでに僕の手を離れた逆輸入版であって、つまりはハリウッド版のドラゴンボールなのである。
なのでそんなものに一喜一憂する必要はない。
ハリウッドでこしらえたドラゴンボールがどのようなものであれ、鳥山先生の功績が色褪せることはないのと同じで、僕の中にしかない僕だけのイケボも永遠なのである。
これに加えて僕の声は実用性にも乏しい。
どういうわけだか人に届くということがあまりない。
飲食店などで店員さんに声をかければ、10回中15回くらいはスルーされる。
3回ほど「すいません」を繰り返してようやく気づいてもらえるかどうかだ。
自分では割と大きめの声量で呼びかけているつもりでも、相手からするとプリウスより静かな客だと思われているのかもしれない。
もちろん作業中の店員さんを呼び止める場合は注意が他にいっている可能性もあるので致し方ないことと思うが、会話の途中で突然声が届かなくなるようなことすらあるのでもうどうしようもない。
僕:チキン南蛮定食ください。
店員:チキン南蛮定食ですね。
僕:あと冷奴もください。
店員:それではご注文を繰り返します。チキン南蛮定食一つ。以上でよろしかったでしょうか。
僕:え?
店員:え?
といった問答が度々繰り広げられる。
きっと僕の渾身の「冷奴ください」はどこか別の次元へと旅立って、望まぬ誰かのオーダーとして新たな生を受けているに違いない。
もしあなたが飲食店で食事をしていて、頼んでもいない冷奴がテーブルに届けられたとしたら、同じ時間にこの世界の片隅で僕が冷奴を食べ損ねていると思ってくれていい。