回転寿司のシステムは、その名の通りコンベアの上を寿司が回り続けている。
これをお客さんが全員の資源として共有している。
コンベアの上の寿司が取られれば、職人が新たに寿司を握り、またコンベアの上に乗せられる。
このサイクルが繰り返されているうちは回転寿司として成立し続けるのだが、なかにはコンベアの上の寿司を取らずに直接職人に食べたいものを注文し、握らせるような輩が出てくる。
そう、僕のような輩だ。
回っている寿司の中に食べたいものがないだとか、新鮮なものが食べたいだとか、そのような私欲で個人的な注文を繰り返すお客が店に溢れかえるとどうなるか。
コンベアの上を寿司が回らなくなる、という珍事が起きてしまうのだ。
これは「回転寿司」のアイデンティティが失われるほどの一大事である。
回転することを売りとした寿司屋のコンベアから寿司が消え、ただの寿司屋へと形を変えてしまった結果、我々の愛する回転寿司がこの世から絶滅してしまうのだ。
我々にこれからどこで寿司を食べろというのか………。
絶望的な毎日に希望を見出してくれたのは、某大手チェーン店だった。
連日気が遠くなるくらいの行列ができるその店に入った時、僕はうんざりした。
食事時を外して入ったために周りは数組の客しかいなかったせいか、コンベアの上には寿司が回っていない。
「ここも回らない回転寿司か………」
やはり僕のようなエゴイストのせいで回転寿司は絶滅してしまうのだ。
背中に十字架が重くのし掛かったが、腹が減っては支えられないので注文を済まし寿司が来るのを待った。
しばらくすると、テーブルに備え付けられた端末から小気味の良い音楽が流れ、画面には「商品が到着します」といったメッセージが。
なにごとかと構えていると、「オーダー品」と書かれた皿に乗せられた、注文済みの寿司がコンベアから流れてくるではないか。
なんと画期的な発明、万人の共有地であったはずのコンベアを個別の要求を満たすサービスへと進化させてしまった。
回転寿司はまだ死んではいなかった。
時代を変えるアイデアか、僕たちの良心か。
いずれにしても、悲劇の前にできることは、まだあるのだ。
今回の引用元:『北斗の拳』/原哲夫/集英社
石崎巧
1984年生まれ/北陸高校→東海大学→東芝→島根→BVケムニッツ99(ドイツ2部リーグ)→MHPリーゼンルートヴィヒスブルグ(ドイツ1部リーグ)→名古屋→琉球/188cmのベテランガード。広い視野と冷静なゲームコントロールには定評がある。
著者近影は本人による自画像。