とある場所で偶然出会ったそのカメラは、デジタルではなくフィルム式のものでした。
持ち主の方は趣味でカメラをやっていて、フィルムでしか撮らないというこだわりの人。
フィルムのカメラなんて「写ルンです」しか知らない僕でしたけれど、有識者が本格的な機材で撮ったフィルム写真の、なんともいえぬ味わいに大変な感銘を受けたんです。
そして写真の素晴らしさもさることながら、覗かせてもらったファインダーが切り取る世界の幻想的な見え方にすっかり心を奪われてしまった僕の脳内で、カメラを持ちたい、写真を撮りたいという欲望の悪魔合体が見事に完成。即座に魂を売り渡しました。
しかしながら僕のようなカメラど素人がフィルムカメラを始めるためには多少の知識が必要になるとのことで、まずは言われたとおりに初心者向けのデジタル一眼を購入。
言われたとおりに露出の基礎を学び、そしてようやく念願の初フィルムカメラを言われたとおりにヤフオクにて入手します。
言われたことはすぐにやる、でお馴染みの石崎は、こうして無事にカメラ沼へと沈みゆく運びとなりました。
無抵抗に、ずぶずぶと。
なんというか、人生は沼だらけ、ですね。
それで、ちょっと前に大阪に行ったときに、フィルムを切らしちゃったので買いに出かけたんですよ。
滞在先から数駅離れた住宅地域の中に商店街があって、その中にカメラ屋さんがあったからそこでフィルムを買って、まだ時間に余裕があったので近くの喫茶店に入ったんです。
そのお店でコーヒーでも飲みながら、今さっき買ったフィルムをカメラに入れてそれで写真を撮り歩きながら帰ろうかなって思ってたんですけどね。
そしたらその喫茶店のご主人が僕のカメラを見て話しかけてくれたんです。
「若いのにフィルムなんて珍しいですね」
って。
ご主人もずっと昔から写真を趣味でやっておられたようで、熟練者ならではのいろんなお話をたくさん聞かせてくれました。
僕は僕でその当時は本当にフィルムを始めて間もない頃だったから、そうやって教えてもらえるのがとても嬉しくて、いろんなことを質問させてもらいました。
そうこうしているうちにあっという間に時間が過ぎて、ああ、名残惜しいけどもう帰らないとなあ、と思いながら帰り支度を始めていたら、ご主人が急になにかを思いついたように店を飛び出していったんです。
個人経営の店にありがちなこういう奔放さって、もしかしたら今の日本に一番足りてないものかもしれないな、と世のブラック企業の凄惨さに思いを馳せていると、ご主人は荷物を手にしてすぐに戻ってきました。
「これ、もしよかったら持ってく?」
そう言って差し出してくれたのは、なんと年代物のカメラが三台も。
しかもそのうちの二台は、二眼レフカメラという僕が欲しくてたまらなかったタイプのものだったんです。
「長いこと使ってないし、まだ使えるかどうかもわからんけど」
ご主人は気を使ってそんなことを言ってくれたけど、僕はこのカメラがまだ現役なのかどうかはあまり気になりませんでした。
憧れのカメラを譲ってもらったその喜びたるやそれは大変なものでしたが、本当に心に響いたのはそのことではなかったんです。
僕は、カメラというのは人の思いを遺す装置なのかな、と素人なりにですけど考えるんです。
その瞬間にしか出会えない景色や表情をフィルムに残し、その瞬間を残したいと感じたその人の意思や感触はカメラそのものに残るんじゃないのかなと、そんなことを思ったりします。
ご主人が生きた長い人生の中で様々な変遷があって、この数年、あるいは数十年はそのカメラを使う機会に恵まれなかったかもしれないけれど、それでももちろん捨てることなんてできず、不条理に奪われて良いわけでもなく、ほかの誰のものでもない自分自身のたくさんの思いが溢れているはずだと、勝手ながら察してしまうのです。
そのカメラに詰め込まれた持ち主にしかわかりえない思いを、そのまま丸ごと託してもらったようで、うまく言葉にできないけれど、あたたかい、それまでにあまり感じたことのない多幸感に包まれた、そんな出来事でした。
今回の引用元:『カメラを止めるな!』/上田慎一郎監督/バップ 2018
石崎巧
1984年生まれ/北陸高校→東海大学→東芝→島根→BVケムニッツ99(ドイツ2部リーグ)→MHPリーゼンルートヴィヒスブルグ(ドイツ1部リーグ)→名古屋→琉球/188cmのベテランガード。広い視野と冷静なゲームコントロールには定評がある。
著者近影は本人による自画像。