Bリーグ発足後は多くのクラブがGM職を設け、その人数は年々増えていった。B.革新ではヘッドコーチ等の肩書を同時に背負うことを禁止する規定が明文化され、GMの人材はここからさらに需要が広がっていくだろう。
その人材としてわかりやすいのは元選手やコーチ経験者であり、横浜ビー・コルセアーズでもかつては竹田謙が現役引退直後からその任にあたっていた。青山学院大HCに就任してからはアドバイザーとなり、白井英介前代表が兼務していたが、その退任に伴って横浜BCが新GMに招聘したのは矢代雪次郎。直近の3シーズンはサンロッカーズ渋谷(現・東京サンロッカーズ)で通訳兼サポートコーチを務めていた人物だ。ただ、コーチングキャリアはその3シーズンのみで、年齢もまだ34歳。今回のオファーには、本人もいささか驚いたという。

「ビックリはしましたね、率直に。まだまだコーチとして道を進んでいくと思っていて、このキャリアはまだ考えてなかったので、『こんなタイミングで来るんだ』とは思いました」
予想外の展開に、「ものすごく悩みました。1カ月間くらいですかね……そのときが精神的に一番キツかったかもしれないです」と振り返るが、覚悟を持って受諾を決心し、青年GMの誕生となった。香川ファイブアローズで選手と通訳、アシスタントGMを兼務した経験はあったが、「香川のときは言われた業務をやるくらいでしたし、GMというのはすごく責任のある立場で、物事を進めていくためにいろんな要素を以て決断していかないといけない。もう毎日が勉強です」と今は日々の業務に追われているところだ。
矢代GMはスラムダンク奨学金3期生としてアメリカ留学を経験し、プロ選手としてはBリーグ初年度から7シーズンのキャリアを持つ。この年齢でGM職にまで上り詰めたことは、一見すると順調な出世のようにも思えるが、本人が思い描いていた青写真とは異なっている。しかしながら、漫画家・井上雄彦氏に認められてスラムダンク奨学生となったことが、思いがけない形で自身のキャリアに影響を与えていくことになる。
「選手になってプロで活躍して、10年くらいで引退でいいと思ってたんですけど、7年しかできなかったので結局それは傲慢な考えでした。しかもトップレベルのB1ではできなかったので、思い描いてたものとは違うし、実際に引退したらもうバスケットの道には残らなくていいかなと思ってたんですよ。一般企業で英語を生かしながら仕事ができたら面白いかなと思ってたんですけど、そういう話を井上さんにチラッとしたことがあって、『いや、それはもったいないよ』と言われたんです。『アメリカに行って誰にも経験できないことをしてきた中で、それを還元してほしい』と。それがずっと頭の片隅にあって、いざ引退したときにありがたくサンロッカーズを含めて複数からオファーをいただいたときに、やっぱり僕はまだこの世界でやっていかないといけない人物なのかなと思ったんです。それで3年間コーチングを頑張ってた中で今回GMの話をいただいて、あの言葉をGMとして実現していかないといけないなって。どれだけできるのかはわからないですけど、この経験でバスケ界に寄与していくのが僕の使命だと思ってます」

GM職に就いた以上はBリーグ、ひいては日本のバスケット界全体に一定の影響力を持つ存在となっていくことも期待できる。今はバスケット界の受け皿も広がり、プロを目指す若者は確実に増えている。中には、選手生活を終えた後のキャリアまで見据える者、プロ選手になれなくてもコーチやフロントなどで業界に入る希望を持つ者もいるだろう。矢代GMは、そんな彼らに道筋を示すことのできる立場になったのだ。
「バスケ界を変えてやろうなんて大それたことはおこがましくて言えないですけど、今ある仕事をすることによって何か少しでも道ができてくるのかなとは思います。スラムダンク奨学金でアメリカに行った人がこんな道を歩んでるんだって思ってもらって、何か新たな見方を示せたらいいのかなって。それが少しずつ積もり積もってバスケ界に貢献することになっていくのであれば、まずは与えられた仕事を一生懸命やるのが一番だと思ってます」











