GM職はクラブの編成責任者にとどまらず、多様な対応が求められる。その意味で、矢代GMのこれまでの経験は存分に生かされるはずであり、そのことは本人も意識している。筆者が矢代GMを取材したのは、8月9日の新チームお披露目会見。ブースターも集ったこのイベントで目まぐるしく働いたスタッフの名前を挙げたところに、矢代GMが常に多方向に、かつ深く目を向けていることが窺える。

「選手時代は試合でなかなか活躍できなかったり、トップに上り詰められなかったり、そういう辛い経験は頑張れなかった自分自身のせいなんですけども、その中でも一生懸命やってきたところも、逆に自分の甘さを感じたことも、選手をやってたからこそ気づいたことがあって、頑張っても報われない選手には声をかけてあげたいし、甘さがある選手がいれば僕の経験で伝えられることもある。スタッフに関しても同じで、日の目に当たらない大変さは僕も経験してきて、そこを誰よりも見てあげられるのは強みだと思います。今日、誰が一番大変だったかというと、サム(澤地サミュエルジュニア)通訳兼スキルコーチだと思うんですよ。仕事だからやるのは当たり前かもしれないですけど、頭を回転させながら、緊張もしながらどれだけ人前で喋り続けないといけないか、そこに敬意を示さないといけないと思いますし、誰かが見てあげないといけない。いろんな境遇の選手・スタッフに寄り添えるGMでありたいです」
本人曰く「思い描いていたキャリアではない」ものの、GMという肩書を背負えるまでになったことは決して偶然ではない。通訳兼サポートコーチとしての3シーズンの間に、矢代GMは当時のルカ・パヴィチェヴィッチHCから “プロフェッショナル” の本質を植えつけられた。それを体現しようと努力してきたからこそ、新たな道が開けたのだと本人は確信している。
「何故こうなったかと振り返ってみると、コーチ兼通訳をやってたときはルカさんに必死についていって、誰よりも動く姿勢を学んできたので、毎日自分の仕事を全うしてきたことが巡り巡って今回GMのオファーをいただけたと思うんです。自分の仕事を全うすることが、思い描いてないような素晴らしいことにもつながる。良いGMになりたいと思っても、今を大切にできなかったらたどり着けないと思うんですよ。目の前の仕事をとにかく必死にやる、それが僕の生き方なのかなって思ってます」
バスケットに携わっていると何かしら面白いことがあるもので、矢代GMも今それを強く実感しているところ。GM就任時に多くの人からメッセージが寄せられ、「すごい役職を任せていただけたんだなと改めて思いましたし、こんな未来が待ってたんだなと、思ってもみないことでした」とのこと。「ビーコルは僕だけのチームではなく、ファンの皆さんのチーム。それを壊すようなことはあってはならないので、責任を持ってやっていきたいです」と一層強い覚悟を抱いたそうだ。そして原毅人代表と同様、横浜という街に、横浜BCというクラブに大きな可能性を感じ、今は責任感と希望でいっぱいだ。

「本当にポテンシャルしかないと思ってます。そのポテンシャルを生かすも殺すも我々次第で、ファンの皆さんは強ければ応援してくれるだろうし、不甲斐ない試合をすれば心が離れていっちゃうという気もします。横浜をバスケの街にすると掲げた以上、やるのは僕たち。ファンの皆さんがついてきてくれて、街全体で一つのチームになれるようにしていきたいです。優勝したい、嬉し涙を流してみたいというのがこれからの目標です。『ビーコルならできる』と、僕が信じなきゃ誰が信じるんだと思ってます」
文・写真 吉川哲彦











