「徳島戦に勝ったところでギアが2段階も3段階も上がって、プレーオフに入ったときは選手たちが最高潮というか、プレーオフモードになってるのがわかってましたので、僕はその加速をより押し進めるだけでしたね」
前述した通り、波に乗ったチームは大黒柱を欠いても力強さを失わなかった。その大黒柱、フィッツジェラルドがクォーターファイナルGAME1で決めた起死回生の同点3ポイントが、その後の立川の快進撃を生むターニングポイントとなったのだが、優勝まで到達した立川の勢いを考えると、この一撃ももはや奇跡ではなく、必然だったとさえ思える。
「もちろん、あれが入ったか入ってないかでどちらに転がったかというのは皆さんも思われてると思いますけど、もう我々はああなる運命にあったんじゃないかというくらいの勢いがありましたし、乗ってましたし、覚醒してました。偶然というよりは、なるべくしてなったんじゃないかって信じてます」

B3リーグとしての最後のシーズンにクラブ創設4シーズン目、レギュラーシーズン6位、プレーオフ初出場の立川が優勝したことは、群雄割拠のリーグを象徴するような出来事でもある。B.革新によるリーグ再編という節目に、クラブとして一つの成果を挙げてみせたという点も、立川にとっては価値のあることだ。
「ストーリーとしては面白いですよね。とにかく、何があっても年間チャンピオンになるというのは我々の目標でしたから、レギュラーシーズンはいろいろありましたけど、僕もキャプテン(町井)も原(宏樹)代表も、そこはブレずにやってこれたというのが最後につながったと思います」
そして、間橋HCのキャリアにとっても大きな意味を持つということは本人も実感しているところだが、「日本のバスケット界がより良くなっていくというのが僕のコーチングの原点なので、この優勝というのも僕だけでなくもちろん立川という街にとっても、そして日本のバスケット界にとってもすごく良いことだと思いますし、日本のバスケット界がどう良い順序で積み上がっていくかというのを、今後も僕のキャリアの中で突き詰めていきたいなと思ってます」とこの事実をより大局的な視点で受け止めてもいる。間橋HCがそう考えるに至ったきっかけは、2011年に発生した東日本大震災。そのとき間橋HCは、地元クラブでもある仙台89ERSのGMを務めていた。
「仙台のチームがどうやって生き残るか、立ち直るかで必死だったときに、いろんな方々に助けていただいて、全国各地のクラブ、いろんな個人の方、組織に支えられて復活した。そのときに、単体で見るよりも日本のバスケット界全体でいかに良い方向に進んでいけるかというのを考えるようになって、そこが僕のバックボーンになっていきました」

初代指揮官としてクラブの礎を築いてきた間橋HCは今シーズン限りで退任し、仙台に戻ることになった。今後は前HCとして遠くから見守る立場になるが、4シーズン携わってきたクラブへの思い入れは強く、発展の願いを込めてエールを贈る。
「立川という街の象徴、誇りになれるというところで、これからはカテゴリーが変わりますけど、常勝軍団、立川王朝を築いていく次のフェーズに入ってると思います。その夢を追い続けて、もっともっと良いクラブになっていってほしいなというのが一番の率直な気持ちですね」
文・写真 吉川哲彦











