「大きな怪我から入ったというのが他の選手と違う部分だったんですけど、12歳上の長谷川さんに当時すごく可愛がってもらってて、怪我に対する考え方、リハビリの姿勢、プロとしての私生活も含めてすごく影響を受けました。選手としての過ごし方というのは、長谷川さんが直接教えてくれたわけではなかったんですけど、一緒に過ごす時間の中で学べました。本当に極端なプロ意識の塊と一緒にいて、良い影響を受けたのが長くプロでやれた要因というか、ルーキーのときにそれを経験できたのが良かったと思ってます」
フランチャイズプレーヤーでもある池田は主軸としての地位を確立し、bjリーグを代表するスターの1人にもなった。そして、プロとなって10年が経った2016年、Bリーグが発足。バスケット界が大きく変わろうとしていた中で、池田自身にも不動のスターターからシックスマンへという変化がありつつ、新潟のために戦うということだけは変わることがなかった。
「年齢も30を超えてましたし、ベテランという枠の中で若い選手と競い合いながら、プレー面の役割はよりしっかり決まってきた部分がありました。bjのときはスタートで30分近く出させてもらって、ベンチスタートはバスケット人生で初めてだったので、最初はどうなのかなと思ったりもしたんですけど、ベンチから出る面白みというところでまたバスケットを学ばせてもらったし、とにかく新潟で勝ちたいという意識はずっと変わらず、移籍することも一切考えなかった。やりきった上で『要らない』と言われたら終わりかなという感覚でした」

そのBリーグ3シーズン目に、池田のプロ生活で最高の瞬間が訪れる。シーズン序盤から中地区首位を走り続けた新潟は、レギュラーシーズン残り4試合というタイミングで地区優勝マジック1となり、2位の川崎ブレイブサンダースとアウェーで直接対決。1つでも勝てば地区優勝が決まる状況で、GAME1の第1クォーターと第2クォーターはいずれも同点、第3クォーターも1点差と大接戦を繰り広げた結果、第4クォーター残り13秒に決勝点をもぎ取った新潟は2点差で試合を制し、地区優勝を決めた。「詳しいことは覚えてない」という池田は、自身が第4クォーターに3本の3ポイントを炸裂させたことすらも記憶していないが、試合を重ねるごとにチームが強くなっていった過程と、その末にたどり着いた歓喜の渦は池田の心に刻み込まれた。
「自分は3ポイントシュートを武器にしてやってきたので、いつ打っても自信がありましたし、結果的にその試合では良いところで決めてた……ようなので(笑)。でもそれよりも、勝ってみんながワーって喜んだ瞬間が忘れられなくて。あのときの川崎はニック・ファジーカスが帰化した年なんですよね。中地区はオンザコート3の川崎がダントツで有利と言われてたシーズンだったんです。その中で下馬評では下位にいた新潟が、チームが一つひとつまとまっていって地区優勝できたことが印象深かった。シーズンっていつもサラッと終わるというか短く感じるのが、あのときは良い意味で長く感じたし、すごく楽しかったですね。ダバンテ・ガードナー(現・シーホース三河)がいて、それで勝ったとは言われるんですけど、その前の2シーズンも彼はいたわけで、それまでチームとして積み上げてきたことがそこで頂点に達した感じです」
新潟はその後、下降線をたどることになるが、多くの選手・スタッフが入っては去る中で、池田は新潟を背負い続けていった。
(後編)へ続く
文・写真 吉川哲彦











