その日本では、人一倍の苦労もあった。それはライフスタイルや言語の違いによる苦労ではなく、プロキャリアのスタートとなったファイティングイーグルス名古屋時代に見舞われた、髄膜炎という難病との闘いだ。それを乗り越えたからこそ、今のシェリフがある。
「あのときは病院で『もう絶対に戻れない』と思ったんです。脚も細くなって、しびれとかもいろいろ出てきて、バスケよりも自分の家族のことが心配でした。髄膜炎は死亡率も高いんですけど、良かったのは早く見つかったことで、長い間リハビリして、ちょっとずつちょっとずつやってきてコートに戻れた。FE(名古屋)がチャンスをくれたことに感謝してますし、サポートしてくれた家族とか、応援してくれる人にも感謝してるので、この場に立ててるのは皆さんのおかげだと思います」
筆者が取材したのは10月27日の香川との第1戦。機動力のあるシェリフは速攻のシチュエーションになると真っ先にスタートを切り、ディフェンスを引きつけて他の選手のシュートシーンを演出。この試合唯一のフィールドゴールは、高い位置からプレッシャーをかけてきた相手ディフェンスの隙を突いた、ミドルドライブからのダンクだった。自らを「能力系」と称するシェリフは派手なプレーにも、目立たないプレーにもその高い身体能力を生かし、「チームにエナジーを与えて引っ張っていきたいです」という決意を体現した格好だ。
そういったプレー面だけでも、横浜EXにおける存在価値を十分に証明しているが、彼の素晴らしさは試合後にも表れた。たまたま通りかかり、取材に応じる様子を少し眺めていた西山達哉が「エクセレンスに来てくれてありがとう」と声をかけてその場を去っていったのだ。それはちょうど、シェリフが日本という国について語っていたタイミング。日本をこよなく愛する選手の存在にチームメートが感謝し、シェリフも自身を受け入れてくれたことに「こちらこそありがとうございます」と感謝する。「愛されてますね」という問いかけに「いやいや、そんなんじゃないです。いい人ぶってるだけです(笑)」と答えるシェリフは、その人柄も含めて横浜EXに、いや、今まで在籍した全てのチームに必要とされてきたのだ。
文・写真 吉川哲彦