── 実際に琉球に入って得られたものはありましたか。
橋本 ありました!バスケットスタイルが違うのは当然ですが、チームが変われば会社の運営方針みたいなものも違うし、クラブの形態は1つじゃないことを知ったのもその1つ。中でも(琉球に)行って1番よかったと思うのはいろんな人と話して、いろんな意見を聞けたことです。というのもシーホースにいたころは僕が意見をバンと言うとそれが正解になってしまうようなところがあったんですね。正解にならざるを得ない雰囲気というか、何でしょうね。多分僕の7年のキャリアがそうさせていたんだと思います。
── でも、ニューフェイスとなった琉球では違ったわけですね。
橋本 はい、さっき言ったように琉球では自分の意見に対して普通に思ったことを返してくれるし、それに対してまた自分も返せる。柔軟なコミュニケーションと言えばいいんでしょうか。僕はもともとおしゃべりで人との垣根もあまり作らないタイプなんですが、自分の立ち位置を考えると、アイシンではやっぱり頭が硬くなっていたかもしれません。もっとこういうコミュニケーションが取れればよかったなあという反省も含めて、琉球では良い学びを得られたと思っています。
── 三河から琉球への移籍に驚きましたが、琉球からレバンガ北海道への移籍にも驚かされました。日本の最南から最北へ。心を決めるまでどんな経緯があったのでしょう。
橋本 レバンガは毎年最下位争いをしているチームというイメージがあったのか、移籍を決めたとき周りには「よく北海道を選んだな」みたいな見方をする人もいました。けど、逆にそのイメージが移籍の後押しになりました。
── 『毎年最下位争いをしているチーム』というイメージですか?
橋本 そうです。琉球に移籍した理由として独特のカルチャーを持つ沖縄とその土地に根付いた琉球に興味が沸いたことを挙げましたが、北海道の場合は「結果が出せない原因はどういったものだろう」と思って、それを知りたくなりました。興味とか好奇心というのとはちょっと違うかもしれませんが、勝てない理由があるとしたら、それはこれから変えていけるものなのかな…みたいな。
── それから3年。思い通りに行かない苦労も多かったと思いますが、人知れず涙を流すこともあったのですか。
橋本 ありましたよ。家に帰ってからいろいろ考えてると、なんか感情があふれてくるというか、泣いているつもりはないのに泣いてた…みたいな(笑)。それはほんとによくありました。
── だけど、そういった涙を流しながら前に進んできたわけで。
橋本 そうですね。前に進めたのはやっぱりチームメイトの存在が大きかったと思います。みんなといると自分はこのままで終わりたくないと思ったし、求める(チームの)理想像を思い浮かべると、こんなところで立ち止まっていられないと思ったし。その繰り返しでしたね。でも、繰り返しながら少しずつ前に進んでこられた気はします。その結果、チームが『本気で勝ちを目指す集団』に変わってきた手応えを感じるし、今年はほんとに勝負のシーズンになると思っています。
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE