A東京はこのエリアのシュートに迷いがない。
第一戦においても序盤から連続して中距離のシュートを沈め、島根を一歩先んじた。
おそらくこの距離のシュートに相当なコストを割いて、熟練を計っているように思う。
そして、相手チームがたまらず中距離のシュートを止めにきたら、手薄になったゴール付近と3ポイントのシュート、得点期待値の高いシュートをより高い確率でアプローチしていく。
現代の一般的な通説を逆手にとった戦略が、A東京の伝統芸能として根付き出していると、筆者は勝手に愚推する。
しかしこの試合で、A東京はミドルシュートを打ち続けた。
もしかすると、打たされ続けたのかもしれない。
統計的な結果に収束してなのか、たまたま運が悪かったのか、第1クォーター以降、ミドルシュートは明らかにその精度を欠きはじめた。
それでも、ドトールではなくコメダを目指す老夫のように、スマホゲーム以外は断固手を出さない女学生のようにミドルシュートへのこだわりを一貫したが、最後まで確率は振るわず、手痛い敗戦となった。
翌日の第2戦。
前日とは全く逆の結果となった試合だったが、A東京のオフェンスは別のチームを見ているようだった。
前日の、前日までのこだわりを捨てたわけではない。
チームによって整えられたかたちから、さらに一歩先へ、あるいは一歩後ろへと踏み出していた。
中距離から中距離への効率的な連携を目指したピックアンドポップに終始せず、ユーザーはより深く侵入してリスクを取り、スクリーナーは3ポイントラインまで広がるか、積極的にゴールへ向かうことでそれぞれに効果的なシュートを選択した。
これまでのA東京が度々演じてきたキレイなバスケットとは一線を画した、人間臭い決断がそこにはあったように思う。
勝つために、結果のために、こだわりにこだわるのではなく、それを昇華させていくための開き直りや、なりふり構わない向き合い方が、彼らに進化をもたらしたように見えた。