されど空は青(前編)試合に負けても『角野はすごい』と言われることが嫌だった より続く
折れそうになる心を支えてくれたもの
NBAを目指す選手にとってオファーをもらえるのがディビジョン1の大学なのか、ディビジョン2の大学なのかで大きく道は分かれる。天と地ほどの差があると言ってもいいだろう。たとえばゴンザガ大に進んだ八村塁(ワシントン・ウィザーズ)やジョージ・ワシントン大に進んだ渡邊雄太のようにディビジョン1の大学でプレーできれば、NBAのスカウトの目に留まるチャンスは格段に増え、自分をアピールできるサマーリーグに招待されたりNBAと提携しているGリーグに進める可能性も広がる。一方ディビジョン2の大学からNBAの選手への道は相当厳しいと言わざるを得ない。
ディビジョン2のサザンニューハンプシャー大学から声がかかったとき、角野亮伍の頭に最初に浮かんだのは「ここで4年間やったとしても(NBAの)夢が叶う可能性はほぼないだろうなあ」ということだった。「ディビジョン2で優勝しようと、MVPになろうと(NBAへの道が)どうにかなるわけじゃない。はっきり言えば『おまえはNBA選手にはなれない』という現実を突きつけられたようなものです。これから自分はどんなモチベーションでバスケをやっていけばいいんだろうと思いました」。それでも進学の道を選んだのは「どこでやるかではなく、今何をやるべきかを大事にしよう」と気持ちを切り替えることができたからだ。
「もちろん、それからも悩むことはたくさんありました。特に2年、3年のころは大学で活躍する雄太さんや塁のニュースが伝わってきて、なんだか自分だけ取り残された気持ちになって辛かったですね。心が折れそうになったこともあります」
だが、折れはしなかった。重い気持ちを1人で抱え込むような夜、支えてくれたのは遠くから聞こえてくる「頑張れ!」の声だったという。
「お前ならきっとNBA選手になれると言って送り出してくれた家族、ミニバスや中学のチームに行ったとき『ずっと応援しています』と言ってくれた子どもたち。ああ、あのときサインをして、握手もしたなあ。みんな笑顔になってくれたなあと思い出したら、自分を応援してくれている人たちの顔が次々に浮かんできて、ここで挫折するわけにはいかないと思いました。あの人たちを裏切るようなことは絶対にできないって。そう思うとまた明日の練習も全力で頑張ろうという気持ちになれたんですね。なんだか力が湧いてきたんです」
スターティングメンバーを任されたのは3年生のとき。NBAには届かなかったとはいえ選手としてのスキルアップを含めアメリカで得たものは数多くある。その中で一番大きなものは?と尋ねると、迷うことなく、ひと言「強くなれたことです」と答えた。
大学卒業後、帰国した日本でプレーをすると決めたとき、挫折感がなかったと言えば嘘になるだろう。NBAで活躍する八村塁や渡邊雄太を応援したいと思う反面、活躍している姿を見たくないという自分がいる。「これって嫉妬なんですかね」と聞かれて戸惑っていると「多分、まだ負けたくない気持ちがあるんでしょうね」と、笑顔で自答した。アルバルク東京から海を渡り、NBA・Gリーグ(テキサスレジェンズ)から、現在はNBL・メルボルンユナイテッドでプレーする馬場雄大のようにチャンスがあれば海外に挑戦してみたい気持ちは今も持ち続けている。「そのためにも『嫉妬するほど負けられないと思う気持ち』は大事にしたいと思っています」という言葉はアメリカで強くなれた角野を表しているのかもしれない。