バスケットボール温故知新 内海知秀

実るほど頭(こうべ)を垂れて part2

── なるほど。話を戻しますが、内海さんが札幌大のコーチになられた経緯を教えてください。

私が代表選手だったときのアメリカ遠征で一緒になった札大の先生から「札大に社会人公募がある」と聞いたのがきっかけです。ちょうど私が引退した年でした。それですぐに応募して運よく採用されたということです。北海道は右も左もわからない土地でしたが、(応募することに)迷いはまったくなかったですね。札大には留学生制度があって、チームを見て7年目にアメリカのアリゾナ大学にコーチ留学できたのも幸運でした。

── 留学はどれぐらいの期間?

1年間です。毎日大学の練習にはミーティングから参加して、試合にも帯同しました。トレーニング法、戦略戦術、何よりもアメリカのバスケット文化に触れ、肌でそれを学べたことは大きかったです。

── アメリカにはご家族も同行されたと聞きました。

はい。妻と子ども3人、全員で行きました。当時長男の慎吾(現京都ハンナリーズ)は中学1年生、長女の亮子(元JX-ENEOSサンフラワーズ)は小学6年生、次男の哲也は小学4年生でしたが、みんな英語を覚えるスピードが速くてね。慎吾は東海大に進むときも英文科を選びましたし、亮子も今は英語を生かす仕事に就いています。妻も英語の勉強を続けて日常会話には困りません。私はというと、バスケットに関しては非常に有意義な1年でしたが、英語の方は今ひとつ…家族で1番ダメだったかもしれません(笑)

part3「日の丸の重さを知る自分が代表を率いるという運命(さだめ)」へ続く

文 松原貴実
写真 安井麻実

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