熊本のシンボルの1つ、熊本城。今はまだ修復中のその城内に戦国武将、加藤清正を主神とする加藤神社がある。そこには加藤清正のモットーが書かれた幟(のぼり)がいくつも立てられていた。「のちの世のため」。小林もまさに「のちの熊本のため」にヴォルターズをよりよいチームにしたいと考えている。
小林自身は中学を卒業したあと、高校は宮崎県へ、大学は関東へ、そして就職は関西へと目を外に向けた。特に高校進学については、当時の熊本県内にバスケットで魅力のあるチームがなかったからだと認めている。
でもヴォルターズができた今は違う。
小林は熊本県内の子どもたちに、熊本で夢を叶える一歩を踏み出してもらいたいと考えている。
「子どもたちにバスケットボールって夢があるなと思ってほしいんです。理由は何でもいい。ただかっこいいとか、あんなに高く飛んでみたいとか、あんなふうにシュートを決めてみたいとか、理由は何でもいいですけど、バスケットボールで夢を見てほしいんです。そう思う気持ちがずっとあって、それが少しずつですけど形になってきているんじゃないかと思います。少なくとも僕が子どものころとは違う熊本の景色になっているんじゃないかと信じています」
もちろんくじけそうになったこともある。忘れもしない2年連続の6勝48敗。もうあきらめようと思うこともあった。でもそう思うたびに小林は思い出していた。自分が熊本に戻ると決めたときの気持ち ─── 日本一になって、子どもたちに夢を持ってもらいたいという気持ちを思い出していた。
「熊本に帰ってきたときの気持ちとか、そのときの意志、志の高さは、たとえ何度突き落とされても、それがあれば這い上がってこられると実感しています。加えてあの地震。あれでチームも、熊本も疲弊しましたし、経済もなくなりました。チームのお金もなくなりました。それでも僕の志はこのチームを日本一にすることで、それってお金では買えない、何物にも代えられないものなんです。それをこの熊本に持ってきたい。その夢だけは何年かかってもあきらめたくないなと思ったので、その夢がある以上、何度でも立ち上がれるんじゃないかと僕は思っています。『馬鹿じゃないの?』ってよく言われますよ。『6勝のチームがどうやって日本一になるの?』、『B2のチームがどうやって日本一に?』って。でも夢を持って、夢を語らなかったら、夢は叶いません。もちろん語ってばかりでも仕方がなくて、そこに向かって努力をしていく、突き進んでいくことが重要です。それを含めて僕は夢を語ることを続けていきたいと思います。どれだけ笑われても、どれだけ無理だよって言われたとしても達成したいと思います」
どんな状況になろうとも、心が折れなければ何度でも立ち上がれる。そして何度でも立ち上がることで心はさらに強くなっていく。
立ち上がるのか。それともそこで終わるのか。
選ぶのはいつも自分だ。
少なくとも、夢を追い続ける小林慎太郎は何度でも立ち上がる。
熊本ヴォルターズ #7 小林慎太郎
何度でも
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文・写真 三上太