熊本はNBLに参戦した初年度、6勝48敗でリーグを終えている。惨敗。その翌年も6勝48敗。2年連続の屈辱と言っていい。そして3年目、ヘッドコーチに清水を迎えた年に熊本地震を経験し、4年目となるBリーグの開幕シーズン、B2で44勝16敗、西地区3位となり、プレーオフ進出を決めた。
成績だけではない。
「僕らの行動がどうなったかというと、僕は熊本ヴォルターズというチームが地元から愛されるチームになったと感じています。今、振り返っても僕たちがした行動は間違っていなかったなと思いますし、あのときの僕は人としてどうあるべきかを考えたかった。熊本のチームとしてどうあるべきかを考えたかったんです。そして熊本の人たちは今もあのときのことを忘れていないから、今でも僕らに返そうとしてくれます。『あのときありがとう』って。それがまたチームを変えていっていると思います」
それまではどこかファンサービスもうわべだけのように見えていた。手を差し出すファンに「ありがとうございます」とハイタッチはしていたが、どこか心が通っていない。もしかしたら当時は双方の心がそれぞれの心に届いていなかったのかもしれない。
しかし震災を機に「ありがとう」の気持ちを差し出す手に込めるファンと、「こちらこそ応援をありがとうございます。まだまだ一緒に頑張りましょうね」という言葉とともに、その気持ちを手に込める選手とのハイタッチは明らかに変わった。小林はそう見ている。
「そういう一言をみんなが自然と言えるようになってきて、お互いにいい掛け合い、いい流れ、お客さんと僕たち、地域とチームがいい相乗効果を生めるようになってきたと思います。震災をチャンスに変えられたってことは大きなことでしたね」
熊本に生まれ、高校、大学、そして数年の社会人生活こそ県外で過ごした小林だが、再び戻ってきた地元で“ミスター・ヴォルターズ”と呼ばれるまでになっている。ここから先も地元に骨を埋め、ヴォルターズとともに生きていこうと決めている。
「今はどこにご飯を食べに行っても声を掛けられます。ちょっとしたデパートに行けば、声を掛けてくれて、写真を撮らせてほしいと言われることもあります。ありがたいことです。その反面、責任も伴います。いいところと大変なところと半々ですけど、僕はその生活を楽しんでいます。プロアスリートとしては本当にありがたいことなので」
熊本に戻ってきてよかった。
小林は心からそう思っている。
だからこそ、ヴォルターズを日本一に導きたい。熊本を日本一のプロバスケットチームを持つ県にしたい。そう心に決めているのだ。
part4へ続く
文・写真 三上太