その日の秋田は快晴だった。しかし差し込む陽光を遮ろうとカーテンを閉めているからだろう。シーリングライトだけでは館内も薄暗く感じられる。そんな環境をものともせず、古川孝敏はチームメイトとともに黙々と汗を流していた。
古川孝敏 ─── Bリーグ元年、栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)で初代王者に輝き、自身はチャンピオンシップMVPを獲得。翌年、その称号を携えて琉球ゴールデンキングスへと移籍すると、プレーした2シーズンでともにチャンピオンシップ・セミファイナルまで進出している。Bリーグができる以前はアイシンシーホース(現・シーホース三河)でリーグ制覇を経験し、天皇杯も下賜されている。“優勝請負人”と書くにはやや大げさかもしれないが、少なくともそれに近いところに古川はいる。
その古川が秋田ノーザンハピネッツに移籍をした。自身にとって3度目となる移籍である。だが今回はこれまでと少し様子が異なる。アイシンから栃木の移籍はチームを取り巻く環境が整わない中での、それでいて古川自身の挑戦をサポートする形での移籍だった。栃木から琉球への移籍も、やはり自身が高みを目指すための一歩だった。しかし今回は高みを目指しつつも、バスケットボールの深みを求めるものだと古川は明かす。
「これまで多くの経験をさせてもらって、そのなかで自分が感じるところもすごく多かったんです。今年で32歳になるので、年齢的にもそれらをいろんな選手に伝えたり、チームに還元しなければいけない立場だと思ったし、いつまでも自分一人がよければいいというものではないと思ったんです。そうしたことを明確に感じて、またそれが自分にとってもプラスになると考えて移籍を決断しました」
昨シーズンまで在籍していた琉球は規律を重んじるチームで、コントロールされたバスケットを全員が遂行することで西地区を制し、チャンピオンシップも勝ち上がっていった。そうしたバスケットの良さを感じる一方で、古川自身はどこかで息苦しさも感じていた。琉球がやろうとするバスケットを認めながら、自分の経験をどう伝えていくべきかに苦しんでいたわけだ。
もちろん自分が経験したことがすべてのチームに当てはまるのか、つまりは正しいのか、正しくないのかはわからない。それでも秋田には若くて、ポテンシャルの高い選手たちが多い。自分の経験を押し付けるつもりはないが、若い選手たちの考え方にも触れながら、足りないと感じたところに自分がアクセントをつけられたら面白いチームになるのではないか。幸いなことに今シーズンから就任した前田顕蔵ヘッドコーチもコミュニケーションを重視したいという考えの持ち主だった。古川はそこに心を動かされた。