今シーズン名古屋ダイヤモンドドルフィンズに移籍した須田侑太郎はアウェーで迎えた開幕戦(10月2日、対サンロッカーズ渋谷)にスタメン出場。28分近くコートに立ち、チームハイの20得点をマークした。しかし、試合は渋谷のブザービーターで敗戦。「自分が何点取ろうとチームが勝たなければ意味がない」と本人は語るが、攻守で躍動した “頼れるニューフェイス” の登場に心躍った名古屋Dブースターは多かったはずだ。プロ生活8年目を迎える須田にとって名古屋Dは栃木(宇都宮)ブレックス、琉球ゴールデンキングス、アルバルク東京に次ぐチームとなる。移籍にはさまざまな背景があり、個々に事情も異なるが、共通するのは『この決断を正解にしてみせる』という覚悟だろうか。「それぞれのチームで学んだことが自分を育ててくれた」と振り返る須田は新天地・名古屋Dで “4つ目の正解” を目指す。
『13番目の選手』から始まったプロ生活
北海道札幌市出身。地元の名門・東海大第四(東海大札幌)高校から東海大に進み、有力選手と競い合いながら次第に頭角を現していった。4年次にはエースでキャプテンの田中大貴(A東京)が日本代表活動で不在がちの中、副キャプテンとしてチームを支えリーグ全勝優勝、インカレ2連覇に貢献。「人一倍の努力家」と須田を評した陸川章監督が「練習は嘘をつかないということを改めて彼に教えてもらった」と語った言葉からは深い信頼が伝わってきた。が、須田のその実績を持ってしてもプロへの扉を開くのは容易ではなかった。キャリアのスタートとなった栃木ブレックス(JBL2014-15シーズン)への入団もチームから請われたものではない。「栃木に入れたのは東海大の先輩である佐々さん(宜央・宇都宮ブレックスアシスタントコーチ)が中に入って話をしてくださったおかげです。ニュアンスで言えば(チームに)欲しいと言われたのではなく、入ってもいいよと言われたという感じ。13番目の選手としてのスタートでした」
練習には参加するがベンチには入れないという立ち位置の中で、どうしたら階段を1つ上れるのか、どうしたらプロの世界で生き残れるようになるのかを考える日々が続いた。「思えば、あのころの自分は右も左もわからないような状態だったと思います。助けてくれたのはアシスタントコーチや先輩たちのアドバイス。毎日しっかりコミュニケーションを取ることで、自分のやるべきことが次第に明確になっていったような気がします。粘り強く、激しいディフェンス、それを貫くことが自分の武器になるのだと思えるようになりました」。念願のベンチ入りを果たしたのはそれから間もなくのこと。とは言え『12番目』に定着したわけではなく、得られるプレータイムも短く限られていた。「最初のころは試合終了間際にコートに出て相手の最後のオフェンスを守り切るのが仕事でした。ほんの2秒、3秒だけということもありましたが、それでもコートに立つ時間は自分にとってのチャンス。とにかくアグレッシブにプレーしようと、シンプルにそれだけを考えていました」。大事なのはわずかでも与えられた時間を地道に積み重ねていくこと。2秒、3秒がやがて2分、3分となり、さらに5分、10分と延びていったのは「少しずつ信頼してもらえるようになった証だと思っています」。
栃木に入団して3年。Bリーグが開幕した2016-17シーズンにチームは栄えある初代王者に輝く。13番目の選手からチームに欠かせないワンピースへ、優勝までの道のりには着実な成長を見せた須田の姿があった。