「自分がなりたい自分になる」── 石崎巧という生き方(3) より続く
現役を続けることに限界を感じた
日本に戻った石崎は2014年からおよそ3シーズンに渡って名古屋ダイヤモンドドルフィンズ(三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ名古屋)でプレーし、2017年に移籍した琉球ゴールデンキングスで引退までの4シーズンコートに立った。今も記憶に残るのは名古屋時代に取材した(当時の)若手選手たちの石崎評だ。「1つひとつのプレーがすごく上手いのはもちろん、1番かなわないなあと思うのは自分がやるべきことを遂行する精神力です」(笹山貴哉・ファイティングイーグルス名古屋)、「バスケットの知識がすごく豊富で、めちゃくちゃ勉強させてもらっています」(中東泰斗)、「心技においてまさしくチームの柱になる人」と語った藤永佳昭(千葉ジェッツ)はヘジテーションを巧みに使う石崎のプレーを “石崎ムーブ” と名付けていた。琉球でもまた岸本隆一、田代直希、牧隼利などがこぞってアドバイスを求めに行っていたという話を聞くと、改めて石崎が持つ求心力の大きさを感じる。いずれのチームにおいても高い経験値に裏付けされたベテランガードの知見、思考は貴重なものだったのだろう。しかし、そんな中で石崎が引退を意識する時間は増えていった。最終的に決意を固めたのは今年の年明けだったという。
「バスケット選手としてのモチベーションが目に見えて低下したとか、体力が著しく衰えたとか、そういうことではなく、あえて言えばやり続けたい気持ちをこれ以上できないという気持ちが上回ったということなのかなと思います」
チームメイトの誰にも話していなかったが、前シーズンあたりから試合後の身体に不調を覚えるようになった。それも関節とか筋肉とかいった “外側” の部分ではなく、痛むのは常に胃腸だ。特にタフな試合の直後は立っていられないほどの激痛に襲われ、それが土日ともなると心身に受けるダメージは大きかった。
「トレーナーに相談して病院で精密検査も受けたんですがこれといった異常はなく原因は不明のまま。どんなにハードであっても練習後に痛むことはほぼなかったので試合特有のストレスじゃないですけど、そういった精神的負荷も関係しているのかなあと思ったりもしました。でも、その因果関係もわからないままです。そうこうするうちにも痛みが発生するハードルはどんどん下がっていき、昨シーズンは5分(のプレータイム)が限界という状態になったんですね。さっきも言ったようにモチベーションが下がったわけでも著しい体力低下を感じたわけでもないですが、このままプレーを続けていくことには無理があると判断しました」
バスケット選手としてやりたいことは十分やった
引退の決心を誰にも告げなかったのは「最後まで普通の選手でいたい」という思いからだったと言うが、それだけに発表後のSNSにはファンの驚きの声があふれた。同時に途切れることがなかったのはこれまでともに戦ってきた仲間たちからの声だ。
『向上心、探求心、思考、目標設定、挙げればキリがないぐらいいろいろなものを見本にさせてもらっていました』(大阪エヴェッサ・竹内譲次)、『試合中困ったときにいつからか「ザキさんならどうするかな」と考えることがよくありました』(琉球ゴールデンキングス・岸本隆一)、『高3の時に教育実習に来てて、高校の練習に参加した後ストップウォッチを片手にランメニューを黙々とこなす姿にビックリしました。トップの人は言われなくても自分で走るんだと…。当時の僕にとっては衝撃の光景であり、自分の意識を見つめ直すきっかけとなった姿でした』(川崎ブレイブサンダース・篠山竜青)、『尊敬する東海大の大先輩。石崎さんがドイツにいる時に短い時間でしたが一緒に時間を過ごせたことは自分にとってはかなり大きな経験でした』(アルバルク東京・田中大貴)、『大学時代に石崎さんのバスケットに対する姿勢を間近で見られたことは僕の財産です』(サンロッカーズ渋谷・石井講祐)、『半年しか同じチームでできなかったですが、それでもたくさんのことを教えてもらいました。今の自分があるのはザキさんの指導のおかげだと自分勝手に思っています』(アルバルク東京・安藤周人)