そういう状況では、逸る気持ちを「今はまだしょうがない」と抑えるほかなかったが、その一方で「会場に行くとファンの皆さんもいて、『このコートに立ちたい』というのは画面で見ているときよりも強く思いました」と気持ちが募った。トヨタ紡織戦といえば、第2戦の終了間際に鷹のはし公歌が逆転3ポイントを決めて勝利。劇的な試合をベンチで目の当たりにしたことも、プレーしたい想いを強くした。
帯同できない遠征の際は、孤独感もあった。遠征に出発するチームを見送りながら「ついていきたい」と思ったのが、津村の率直な心境だ。
「取り残された感じがあって、『置いていかないで』って思いました。『ああ、行っちゃった』と思ったら、すごく静かになった感じがして……見送った後も、今頃ごはん食べてるかなとか、試合の準備してる頃だなとか、めっちゃ考えましたね」
腰の痛みが全く出ないということもあり、11月から12月にかけて、リハビリは順調に進んだ。ところが、ホームでのENEOS戦が予定されていた12月下旬に、東京羽田は不遇の事態に見舞われる。過半数の選手が新型コロナウィルス感染症の陽性判定を受け、ベンチ入り人数を満たせないことからENEOS戦は中止。チームの活動がストップし、津村のリハビリもここで一度止まってしまった。
「その前にラントレも始めていて、トレーナーさんにはかなり走らされたし(笑)、あとは息上げだけというところまできてたんです。それが止まっちゃって、一番の試練はそこでした。かなりショックで、ダメージくらいました。それで復帰もちょっと延びちゃったので」
年が明け、チーム全体のコンディションが不十分なまま臨んだ2日の山梨戦をオーバータイムの末に1点差で落とすと、同14・15日の日立ハイテク戦も勝つチャンスが十分にありながら、第2戦では最大17点のリードを追いつかれ、オーバータイムでひっくり返される痛恨の黒星。リハビリの過程で、この日立ハイテク戦を目途に復帰というプランが描かれていたということもあってか、津村は「自分がどれだけ貢献できたかはわからないですけど、ここで復帰したかったなという想いはありましたね」と日立ハイテク戦の連敗を特に悔しがった。チームとして、プレーオフ進出のためのターゲットにしていた試合でもあり、それを2つとも落としたショックが隠しきれない様子を、津村もまざまざと感じていた。
「負けたあとの週の練習が、やっぱり勝ったあととは違って、切り替えなきゃいけないんですけど引きずってる。気持ちの切り替えは簡単じゃないな、みんなちょっと疲れてるなって思いましたね。ここは絶対に取ろうっていう勝負の試合を落としたのは、やっぱりキツかったです」
そんなチーム状況の中、その日立ハイテク戦から試合前のアップに参加できるようになった津村は、コロナ禍の影響で当初の想定より1週遅く、しかし本人のイメージよりは1週早く、1月21日の三菱電機戦でコートに戻ってくることとなる。
文・写真 吉川哲彦